ボイジャー1号の修理

 今日、ネットでCNNニュース(日本語版)を見ていたら、ボイジャーが取り上げられていた。1977年に打ち上げられた宇宙探査衛星である。8月20日打ち上げられた2号と、9月5日に打ち上げられた1号があって、どちらも宇宙を飛び続けている。軌道の関係で、1号の方がかなり遠いところにいる。打ち上げられてから47年。現在、1号の地球からの距離は約240億㎞。既に太陽系を脱出した(オールトの雲を通過、または太陽風がなくなる地点に到達)。あれこれ調べていると、実にロマンあふれる存在だ。
 その1号が、昨年11月に不調に陥った。データが正常に送ってこられなくなったという。そして今日のCNNによれば、驚くべきことにNASAはそれを復旧し、データの取得に成功したのだという。これは本当にびっくり仰天だ。
 なにしろ、地球から240億㎞あまり遠くにいるということは、そこに向かって電波を発したとしても、到着までに22時間半かかる。往復で45時間だ。つまり、何かしらの方法でボイジャー1号の状態を調べるにしても、操作するにしても、1回操作して反応を確かめるのに45時間かかるということである。しかも、相手は50年近く前に作られた機体だ。最新機器とは訳が違う。
 記事によれば、NASAが突き止めた不調の原因とは、1個のチップ=飛行データシステムの3%が破損した、というものだったそうだ。NASAはそのチップに入っていたデータを、同システムのメモリーの他の場所に移すことで、原状回復を目指し、成功したということのようだ。まったく信じがたい。
 日々、ニュースを見ていると、パレスチナやロシアを巡る悲惨な出来事ばかりが目に入り、人間とは何と愚かな生き物であることかと嘆息するのであるが、今回のボイジャーに関するニュースでは、人間とはなんと偉大な生き物であることかとつくづく思った(もしかすると、そんなミッションの中心にいるのはユダヤ人科学者かも知れない)。
 有名な話、ボイジャーには太陽系外の生命体に対するメッセージが搭載されている。いくら宇宙空間を惰性で飛び続けているだけとは言っても、時間と共に機体は劣化する。なにしろ、秒速17㎞あまりで47年も飛び続けているのに、まだ1光日の距離にも達していないのである。数光年離れた恒星系にたどり着くなんて、夢のまた夢だ。
 しかし、ボイジャーがどこまで行けるか、という問題以前に、私がボイジャーの状態を知ることが出来るのは私の人生の終わりまでであって、どんなに長くてもあと40年(101歳!)のことだ。そもそも、人類の未来がさほど長くないだろうと、私は悲観している。太陽系外生命に捕捉されて地球人の存在を知らしめ、その生命体が地球に向かってメッセージを投げ返すにしても、そんなドラマを私が目の当たりにすることは出来ない。
 ボイジャーには原子力電池というものが搭載されていて、地球との交信に必要な電源はそれによって供給されている。太陽から遠すぎて、太陽光発電など、エネルギーの現地調達ができないのだ。困ったことに、この電池が来年には出力を失い、ボイジャーは通信不能になるのだそうだ。いくら飛び続けていても、その状態を確認することが不可能になる。なんだか寂しい。しかし、このことは、ボイジャーが劣化による機体破損で宇宙空間のゴミになっても、私たちには分からないということでもある。
 だとすれば、来年、電池が切れてボイジャーの状態を知ることが出来なくなることは、逆に夢が永遠化することであって、素晴らしいことなのではないか。そんな気がしてきた。(参考→ボイジャーに関する過去記事