私は「イランに○」

 今月1日、ダマスカスにあるイラン大使館が空爆され、イラン革命防衛隊の将官7名が死亡するという事件があった。一般に、イスラエルによるものと言われているが、イスラエルはその真偽について明らかにしていない。
 最初、このニュースに接した時、私は顔から血の引く思いがした。いよいよ中東を中心とした世界大戦なのではないか?と思ったのだ。大使館というのは、国そのものである。イラン大使館を攻撃したのは、イラン本土を攻撃したのと同じことである。イスラエルがこの攻撃への関与を明らかにしないということは、イスラエルがやったということなのだろう。これほどの重大事件である、関与していないのであれば、明確に否定するはずだ。
 2週間経って15日、イランがイスラエルに対する報復攻撃を行った。300発以上のミサイルや無人機(ドローン)を発射したが、イスラエルはそのほとんどの迎撃に成功し、被害は軽微だったようだ。そもそも、イランはイスラエルに大きな被害を与えないようなやり方をあえて選んでいたようだ。
 イスラエルに報復しなければ、国内世論に収まりが付かない。かと言って、本気でイスラエルを攻撃すれば、アメリカによる介入を招き、自国に大きな損害が出る。そんな中で、苦渋の判断をしたのかもしれない。
 だが、それにしても、イランが、大使館の損壊、将官7名の死亡という被害を出したのに対して、イスラエルは10歳の少女1人が負傷、空軍基地1ヶ所が小規模の損壊である。どう考えても、損得勘定で言えばイランの損であるはずなのに、イランは目的を達したとして、それ以上の報復攻撃はしないことを表明した。いくら背後のアメリカを意識したとは言っても、十分に冷静で自制心を持つように思えた。アメリカなどは、イランをいかにも悪の頭目であるかのように言うが、イランは偉い、と思った。
 今日の毎日新聞「木語」欄(会川晴之筆)は良かった。イラン大使館が攻撃された時、イスラエルが攻撃を認めないがために、日本政府はコメントを控えた。同様の事情により、安全保障理事会イスラエルを非難する報道声明の採択をした際、米英仏の三カ国が反対票を投じた。にもかかわらず、イランが報復攻撃に踏み切ると、日本もそしてG7各国も、イランを強く非難し、イスラエルとの全面的な連帯を表明した。ロシアのウクライナ侵攻を国際法違反として非難する一方、大使館攻撃には連帯と支持を送るというのは二重基準であり、そのツケは必ず回ってくるはずだ、とする。
 確かに、イラン大使館攻撃の主体は明らかでない。しかし、上に書いた通り、嫌疑をかけられて否定しないイスラエルは、「やった」と言っているのと同じである。
 イスラエルが横暴な態度を取り、偉そうにしていられるのは、アメリカは絶対自分達を見捨てない、という確信があるからである。ガザの現状があまりにもひどいために、最近は、アメリカ大統領もいらだちを見せることが多い。それでも、アメリカがイスラエルを見捨てることはない。それは、アメリカの政治経済に、ユダヤ人が大きな力を持っているからである。アメリカ人にとって、アラブ人と比べればユダヤ人は身内だ、という思いもあるだろう。
 高校生AがBをいじめていたとする。Aの友人Cは、それを見て見ぬふりしていた。ある時、Aのいじめが発覚した。それを知っていたCも、知っていながら容認していたことがばれて、謹慎処分を受けることになった。この場合、Cは「君が本当にAの友人なのであれば、Aを止めるべきだった」と説教を受けることになる。
 アメリカとイスラエルは、このA・Cの関係に似ている。アメリカはイスラエルが正しいから支持しているのではなく、身内だからかばっているだけである。そういう人(国)は人の信用を得ることが出来ない。かつてアメリカ軍は「世界の警察官」などと言われたりもしていたが、そんな公平・公正さに欠けた人に警察官になられては甚だ迷惑である。アメリカはイスラエルを肉親的な情実によってかばうのではなく、その非を非として指摘し、多少の妥協をしてでもアラブ人と和解の道を探ることこそが、長い目で見た時にはメリット(安心)につながるのだと説得しなければならない。それこそが真の友人というものだ。
 先日の首相訪米の際の言動と言い、今回のイラン=イスラエル関係に対する態度と言い、日本政府のやっていることも危なっかしくて困る。アメリカといくら仲良くしても、アメリカがいい顔をするのはアメリカにとってメリットがある場合だけである。脳天気に信じない方がいい。損得勘定は、しょせん「今」の損得でしかなく、将来に向けてはむしろ問題を生むのである。(→参考記事「情けは人のためならず」