やっぱり山中惇史!

 8月に、私は音楽を聴いた後の余韻ということに触れた(→こちら)。音楽は聴いた後、余韻を楽しむべきものであって、聴いた直後から他の音楽を聴くのは邪道である、というようなことだ。
 そんな観点からすれば、「せんくら」は邪道のかたまりである。つまみ食い的に、後から後から違う演奏家による違う音楽を楽しめる、ということを、私はあまりメリットだと思わない。
 ところが、白状しよう。私は一昨日、鈴木優人のパルティータ演奏会前半と後半との間に、もう一つの全く性質の異なる演奏会をはしごしてしまったのである。前半が終わってから後半が始まるまでに3時間15分もある。何をしていようかなと思っていたら、同じ会場で、前半終了の2時間後から、バンドネオン奏者・三浦一馬の演奏会があるではないか。しかも、ピアノ伴奏が山中惇史で、プログラムは、バンドネオンの演奏会としては大変珍しいフランス音楽である。普通に考えれば、チェンバロによるパルティータの間に、バンドネオンによるフランス音楽はあり得ないが、逆に、これだけ異質だと、かえって邪魔にならないのではないか、という気がしてきて、チケットを買った。
 演奏された曲にバンドネオンのための曲はない。ドビュッシー「レントより遅く」「亜麻色の髪の乙女」、フォーレ「夢のあとに」「シシリエンヌ」、ラヴェル「ハバネラ形式の小品」、そしてジャン・フランセ「花時計」であった。
 45分間の短い演奏会が、更に前半と後半とに分かれている。ラヴェルまでを一気に演奏し、そこでお話タイムを取り、後半はフランセ。フランセの曲というのは初めて聴いた。演奏会でプログラムになることはあまりないが、音大の入試などではよく課題曲になるらしい。「花時計」は元々オーボエのための約15分の作品。全体が小さな7つの部分に分かれていて変化があり、面白い曲だった。
 主客転倒と言うべきか、結果として、少なくとも一昨日について言えば、鈴木優人のパルティータよりもこちらの方がよかった。特に、やはり私は山中惇史というピアニストが好きなのだ。4年前に「せんくら」で上野耕平のサクソフォンを聴いた時のピアニストもこの人で、その時も非常に優れた人だとの印象を書いた(→こちら)。思いは変わらなかった。とにかく正確で指のよく回る人である。テレビでもライブでも、ミスタッチというものを見たことがない。絶対の安心感だ。しかも、感情過多にもなることも、ドライになりすぎることもなく、独奏者との距離の取り方が絶妙であると感じる。話をしているのを聴いていると、穏やかで、控えめな性格であると感じられる。この人が1人でステージに立ち、ベートーヴェンショパンの曲を演奏した時にどうなるかは分からないが、そんな人柄にも支えられて、伴奏ピアニストとしては理想的なのではあるまいか。ピアノが非常にせわしなく動き回る「花時計」は、この人の長所がよく発揮される曲だった。あ・・・この演奏会の主役は三浦一馬のはずだから、二重の主客転倒だ。(三浦一馬も優れた人で、私は好きです。かつて、「せんくら」ではない、ちゃんとした彼の演奏会に行ったことがあるくらい。)
 鈴木優人後半が終わってから15分後に、この人が、今度はまたまた上野耕平の伴奏者として登場することになっていて、本当はそれにも非常に心引かれたのだが、音楽の聴き方としてあまりにも節操がないので、今年はあきらめた。