C型肝炎の記録(6)・・・IFNを打つ



 8月10日に、いよいよINF治療が始まった。

 IFNとは、「薬」とはいっても、もともと人間の体の中にある物質である。ウィルスというものは、後から後から新しい細胞に感染することでその命を繋いでいるが、その感染を妨害する(インターフェア)することで、ウィルスが活力を失い、やがては細胞の寿命とともに死滅するというのが、その効果の仕組みらしい。もともと人間の体の中にあるとは言ってもごく微量であるため、その数万倍という量を一気に注入すると、いろいろな副作用が起こることになる。それについては、前回も少し触れたが、最も高い確率で起こるのは発熱、頭痛といった、いわゆる「インフルエンザ様症状」というものである。そもそも、これは偶然それらの症状が似ているというのではなく、インフルエンザになると自己免疫によって体内でのIFN分泌が盛んになるから発熱や頭痛も表れる、だからIFNの副作用とインフルエンザの症状は似ていて当たり前、という話もあった。新聞で読んだIFN治療の記事には、急激な発熱のために毛布をかぶってぶるぶる震えている患者の様子が描かれていたりして、それを思い出すと私は憂鬱な気分になった。

 10:13に1本目を腕に注射した。細い注射器に、わずかに小指の第1関節くらいまで、透明な液体が入っている。液量を尋ねると、0.6ccとのことだった。これが、1本約3万円という「保険つぶし」であり、ウィルス性の慢性疾患を治癒させる能力のある「夢の薬」なのかと驚いた。この時の体温は36.6度。昼食時になっても、何の変化もない。

 食後、少し寒気を感じるようになり、やがて関節・筋肉に痛みを感じるようになった。13:00に看護師に布団を持ってきてもらう。ここからの熱の上昇は急激だった。ただし、がたがたと震えが止まらない、ということにはならなかった。15:45に39.9度となったところで、氷枕が登場し、解熱剤(座薬)を使うことになった。すると、約1時間で体温が2度下がり、夕食は普通に食べることが出来た。

 案ずるより生むが易し。思ったほどのことはないな、と思った。病気で熱が出るのではなく、薬の副作用だと分かっていることもある。風邪と違い、熱が出るだけで、咳も鼻水もないからかも知れない。就寝時には、注射をした時と同じ36.6度まで下がった。夜はよく眠れた。

 ところが、朝起きると、熱は再び37.5度になっていた。加えて、全身がだるく、強い眼痛がある。眼痛などというものはない、と言う医者もいたから、眼痛というのは頭痛なのかも知れない。しかし、私は、もともと頭痛が起こりにくく、どちらかというと眼痛として自覚される。眼球の上から裏にかけてに非常に鈍く強い痛みを感じて不愉快極まりない。

 最初の4週間は連日の投与である。2日目は9:24に注射をした。ここから先、詳細は省くが、発熱の山が1〜2時間ずつ後にずれていき、2日目は最高体温が1度下がって38.8度となり、この後2日間、同じくらいの最高体温を記録した後、投与5日目(14日)には一気に下がって、36.9度にまでしか上がらなかった。眼痛も消えた。

 一方、口唇炎がひどくなり、右の肩胛骨左側に強い痛みを感じるようになった。筋肉が凝ったように固くなっている。S医師に言うと、特別な病気や副作用と言うよりは、「四十肩」が薬の刺激で強く意識されるようになったのだろう、という説明であった。更に、6日目には下痢が始まり、強い眠気に襲われるようになった。そして、10日目からは何ともおかしな口渇感が始まった。いくら水分を取っても、口が渇く。水を飲むと不愉快で、不思議なことに、日頃飲むことのほとんどないコーラが最も抵抗なく飲めた。この口渇感と「四十肩」が、副作用の中で最もしつこく、不愉快だったような気がする。

 S医師によれば、IFNを投与することによって不眠になる人と眠気が強くなる人が居て、それが途中で変化することはないらしい。私の場合、明らかに後者で、毎日ひたすらうとうととしていた。

 8月25日に、いつ退院してもよいと言われる。私は、31日に退院して、その後は、石巻のY医師ではなく、K医師の元でIFNの投与を続け、強ミノCと同様の成分をもつ経口剤グリチオールを補助的に服用することになった。Y医師とは当初から世話になっていた外科医、K医師とは、医師としてではなく、部活のOB会で付き合いのあった内科医(ただし、専門は大腸)である。私が、Y医師からK医師に乗り換えたのは、いろいろと話をしていて、少なくとも肝臓疾患についてはK医師の方が信用できると思ったのと、変な話だが、K医師は開業したばかりで、まだ病院経営が安定しておらず、ここでIFNという高額医療費の患者を一人抱えることは、けっこう貴重な収入源になるに違いなく、それが多少は日頃の恩に報いることになると思ったからである。

 私は退院後のことをK医師にお願いするに当たり、一つ、あまり普通ではない私独自のお願いをした。それは、S医師の指示は、「9月6日まで毎日、それ以後は週3回投与」というものだったが、週3回ではなく、曜日に関係なく隔日にして欲しいというものだった。週3回で月水金に投与したとすると土日2日間を空けることになり、すると月曜日の投与の後、副作用が強くなるのではないかと心配したのと、当時、IFNによる治癒率は総投与量に比例するという論文があったので、期間満了までに保険の許す範囲で1本でも多く投与してもらったほうがいいと考えたのだ。K医師は快諾してくれた。そこで、私は退院後、月水金日火木土という2週間のサイクルを繰り返す形でIFNを打った。もちろん、S医師の所に月に1度のペースで通うことは変わらない。

 話は元に戻るが、4月以来の強ミノCの投与で、GPTは順調に低下し、入院した7月31日には、GPT/GOTが51/26にまで下がっていた。連日投与期間が終わった翌日の9月7日の検査では、31/23にまで下がったが、慢性肝炎であることを物語るGPT>GOTという状況は変わっていない。ところが、9月21日に、9月7日採血のウィルス検査結果が出ると、CRT−PCRという高感度検査で、「0」となっていた。これは、ウィルスが消滅したということでは必ずしもない。ただ、ウィルスが減少した結果として、最も感度の高い方法でさえも検出不能になったということである。この結果を見て、S医師は私の前で、「う〜ん、やってみないと分からないものだな」とつぶやいた。

 IFNを投与すれば、1bの遺伝子型の人も含め、ほとんど全ての人で、血中ウィルス量が低下し、やがては検出能力以下になる。しかし、そうなるまでにどれくらいの時間がかかるかは、確実にその人の持つウィルスのIFN感受性を反映する。つまり、早くウィルスが陰性化する人ほどIFNによる治癒が期待できるのである。S医師は、私のウィルス量を見て、1ヶ月で陰性化するとは思っておらず、私に治癒の可能性をあまり感じていなかった。だが、実際には1ヶ月という比較的短期で陰性化した。この時、S医師は初めて、私は治るのではないか、と思ったに違いない。それが上のつぶやきの意味である。私に期待を持たせすぎてはいけないという配慮を常にしてきたS医師であるが、この一言は、自分の予想とは違う結果を前にして、ついうっかり口にしてしまったというものであっただろう。