外山雄三『管弦楽のためのラプソディー』の謎



 外山雄三の『管弦楽のためのラプソディー』という曲がある。作曲家としては、武満徹黛敏郎など、外山氏以上に有名な人はけっこういるが、どれか一曲となると、おそらく『ノヴェンバー・ステップス』や『夕鶴』とともに、日本人の作品として最も有名な曲であろう。1960年、NHK交響楽団が世界楽旅をする時に、アンコール用に作られた曲らしい。7分弱という時間といい、日本民謡の有名なメロディーが後から後から出てくる構成といい、和製打楽器の競演といい、実に飽きさせない。安っぽい感じもせず、私は大好きである。

 幸いにして、作曲者の外山雄三氏が、仙台フィル音楽監督を務めておられた関係で、私もご自身の指揮で2回この曲の実演に接している。1回目は、2000年2月18日の第154回定期演奏会、2回目は、2006年3月10日の第209回定期演奏会だ。どちらもアンコールに応えてではあったが、1回目は、この直後に予定されていた仙台フィルのヨーロッパ演奏旅行のアンコール曲の紹介として、2回目は、外山氏の音楽監督として最後の演奏会で退任の挨拶代わりとしてだったから、どちらもただのアンコールではない。

 それはともかく、私は、外山氏が仙台フィル音楽監督に就任した時から、一度ご自身の指揮でこの曲を聴いてみたいと思っていたので、第154回定期で、不意にこの曲冒頭の打楽器の連打が始まった時、大変感激したのであるが、打楽器の連打の最後に弦と金管で和音が鳴らされた後、当然始まると思っていたトランペットによる「あんたがたどこさ」の旋律が始まる代わりに、フルートによる「信濃追分」が始まったので、なんだかすかされたような気分になって冷めてしまった。これは、第209回定期でも同じであった。

 この曲は、打楽器による序奏の後、急(あんたがたどこさ・ソーラン節・炭鉱節・串本節)−緩(信濃追分)−急(八木節)の三部構成で作られている。私が仙台フィルで聴いた時は、最初の「急」(第1部と呼ぶことにする)が省略され、序奏から「緩」に直接流れ込んだのである。この曲は、2001年に改訂されていて、私の手元にある楽譜もこの改訂版なのであるが、私が旧版による録音(岩城宏之指揮『日本の現代音楽の古典』所収)を聴きながら改訂箇所を探した感じでは、トランペットやホルンの使い方、フルートの装飾音に僅かな変更があるだけである。第1部のカットというような大規模な変更は行われていない。やはり3部構成の方がしっくり来るなあ、たった1分半ほどなのに、どうしてわざわざ省略するのかなぁと、ずっと不満を持っていた。

 先々週の日曜日の夜、NHKで、外山氏が1985年に国連総会議場でNHK交響楽団を指揮し、この曲を演奏した場面が放映された。驚くべきことに、この時も第1部が省略されていた。

 分からない。1985年に遡って、作曲者自身が既に第1部を省略して演奏していて、仙台フィルによる2回の演奏も合わせて考えると、どうもそれが基本形になったようなのだが、2001年の改訂版を見る限り、外山氏は楽譜からその部分を削除することは考えていなかったことになる。今や絶大な情報量を持つネットで検索しても、この謎に対する答えが見つからないどころか、省略についての言及さえほとんど見付けることが出来ない。

 作曲されてから僅か50年あまり、作曲者がご存命ですらこの状況である。文学や歴史はこうして混迷を深め、後世の学者が頭を悩ますことになるのだ。そんな学問的課題の起源を目の当たりにした気分がする。


(補足)上の記事にはいろいろな問題がある。5月13日に続編を書いたので、そちらも併せて読んでいただきたい。