ギルバート・キャプランという人



 仙台での『復活』演奏会では、知的好奇心をひどくくすぐられることがひとつあった。それは、そこで使われていた「キャプラン版」という楽譜のことである。

 私は、版の問題と言えば有名なブルックナーを、ハース版で演奏しようがノヴァーク版で演奏しようが気にする人間ではない。その鈍感さもさることながら、その音楽の本質を左右するほど重大な版の違いなどあるわけがない、そんなことを気にするのはただのペダンティズム(衒学性)だと思っているからである。だから、「キャプラン版」が、マーラー協会が出しているいわゆる「協会版」とどう違うのか、などという論評をする気はない。一人の「人間」に対する思いとして書くのである。

 プログラムには、以下のように書かれている(一部改)。

「ギルバート・キャプラン(1941〜)は、1965年ストコフスキーの指揮する『復活』を聴き感動し、「自分でこの曲を指揮したい」と熱烈に思ったアメリカの実業家です。」

 ここまで読んで思い出した。私はその昔、音楽の専門誌ではない何かの雑誌(新聞?)で、アメリカの大金持ちが、『復活』に惚れ込んだ余り、名門シカゴ交響楽団音楽監督G・ショルティに指揮法を学び、私費でオーケストラと合唱団をチャーターして、自ら指揮する『復活』の演奏会を開いたという話を読んだことがあった。その人は、間もなく日本で新日本フィルに客演する予定だということも書いてあった気がする。

 もちろん、そんな人の話は、その後、名前も含めて忘れてしまった。大金持ちのただの道楽という以上には思わなかったのである。客演に招くという新日本フィルについても、話題性で人集めをしようというアホなオーケストラだ、と思った。

 ところが、プログラムは以下のように続く。

キャプランは『復活』専門の指揮者として、演奏の過程で出て来る楽譜上の問題を解決すべく、音楽学者レナーテ・シュタルク=フォイトと協力し、新校訂版を計画、世界各地に散らばる14にわたる自筆譜を参照し、数百もの校訂を行い、出版しました。」

 道楽恐るべし。私の記憶にあったアメリカの実業家は、キャプランといい、新日本フィルで終わったのではなく、正に『復活』に生涯をかける形で、「道楽」のレベルをはるかに超えた、学問的成果をも残したらしい。

 自宅に帰ってから、ネットで調べてみると、キャプランは、経済誌『インスティテューショナル・インヴェスター』の創刊者兼編集主幹であるが、志を立ててから18年後の1983年に初めて指揮台に立つと、新日本フィルの後、世界中の40近いオーケストラに全て『復活』で客演。1988年にロンドン交響楽団と『復活』のCDを出し、マーラー作品のCDとして史上最高の売り上げ(175,000枚)を記録。1996年には、ザルツブルグ音楽祭に登場。2002年には、なんと!、かの「ウィーンフィル」からの申し出によって「キャプラン版」の演奏を録音・CD化すると、2005年には総譜を出版した。キャプラン版を作るに当たって、マーラーの自筆譜を参照したことは、プログラムにある通りだが、キャプランはそれらを買い集めたのだという。一体いくらかかったのか?はどうしても調べられなかったが、途方もない金額であろうことは間違いない。金さえ出せば可能なことにも思われない。

 音楽的キャリアの一切無かった人間が、お金に物を言わせて世界的指揮者に指導を受け、オーケストラを借り切って腕を磨けたとは言っても、30歳前後から音楽を始めて、世界の名だたるオーケストラが彼を呼ぼうという所まで至るものなのか?音楽というのは、才能に左右される度合いが非常に強い分野だと思うが、この人には、音楽的才能があったのかなかったのか?『復活』しか演奏しない(できない)指揮者というのがあり得るものなのか?私の感覚では、生涯を賭ける曲として第8番や第9番ならまだしも、『復活』は役不足なのであるが、キャプラン氏は既に30年以上も、『復活』だけをレパートリーとしている。人の嗜好は年齢とともに確実に変化するものなのに、この間、彼は一度も「浮気」の誘惑には駆られなかったのであろうか?何もかも、なんだかこの世の不思議を見ている気がするのである。キャプラン版製作の過程にも多くの知的ドラマがあったことだろう。詳細に知りたいものだと思う。