「恥」の教え方こそ知りたい



(9月6日付学級通信より・・・8月21日のものは、ここに載せる価値がなかったので、あえて載せなかったが、8月30日のものは、中国にかまけてうっかり飛ばしてしまった。プリントそのものはちゃんと出ている。今日は少し話がネガティブなので、どうしようかとも思ったが、これもまた一つの日常なので・・・。)


 9月になった。昔の表現では「長月」である。語源についてはいろいろな説があるが、「夜長月(よながつき)」が縮まったもの、とする説が有力だ。確かに、最近は日暮れが早い。少し油断すると、帰宅した時には真っ暗だ。例年になく暑い日が続いている(←なんだか毎年同じことを言っているね)が、着実に季節は移り変わっているいるのだ、と思う。


 さて、今日から模擬面接である。就職希望者の校内選考も終わり、具体的な受験先を踏まえた対策が始まるということだ。

 一方、職員室には、3年生が極めて頻繁にやって来る。いくら就職試験とは言っても、とりあえず受けるのは50人くらいなのに、どうしてこんなに生徒が来るのだろう?と思って尋ねてみると、履歴書や志望理由書といった出願書類が書けない、或いは、書いても誤字等があるので書き直しとなる、といった事情で、繰り返し繰り返しやって来るのだそうだ。進路担当の先生によれば、平均して1人10回(枚)くらいは書き直しをしているらしい。某先生に、「朝学で『天声人語』の書き写しに取り組む2年生は、来年もう少しマシになるんじゃないの・・・?」と言われたが、本当にそれほどの効果あるのかな・・・?

 ところで、この2週間、本当に苦労して夏休み明け実力テストの採点をしていたが、残念ながら、勉強した形跡はまったくなかった。

 採点しながら思ったのは、字がどのように間違っているか、日本語表現がどのようにおかしいかは教えてあげることできるが、デタラメな字、意味のよく分からない日本語を書いていて、それを指摘されても恥ずかしいと思わない人に、恥ずかしいと思うことを教えてあげる方法は、少なくとも私には思い浮かばない、ということだ。誤字、誤表現だらけの作文を書いて人に見せるというのは、私にはとても恥ずかしいことだ。

 しかし、更に考えてみると、自分が書いた日本語を人が笑ったとしても、「恥」がなければ痛くもかゆくもないわけだから、やっぱり「恥」という余計なものを身に付けたり、そんなことを気にして勉強の苦労をするのはバカバカしい、今の状態で十分幸せだ、ということになる。だったら、いっそのこと出願書類も誤字だらけで出せばいいのに、と思うのだけど、違うかな?


(裏面:9月3日付朝日新聞より「ニュースがわからん!ワイド:沖縄の尖閣諸島、なぜもめてるの?」

 平居コメント:う〜ん、これは分かりやすい。意見表明をするにしても、これくらいの事実は踏まえてせねば。)