「延安」旅行案内(8)・・・革命記念館と王家坪



 延河大橋から延河に沿って北西に1キロ半ほど行くと、延安革命記念館の巨大な(国会議事堂スケール)建物が目に飛び込んでくる。バスだと、1路、3路、8路、12路、13路に乗って、「王家坪」または「王家坪革命記念館」で下りる(これら二つのバス停は同じ場所)。歩いても30分はかからない。

 記念館は8時から開いている(入館16時までだったかな?)。記念館の正門の所で、パスポートを見せると、無料で入館券をくれる(ずいぶんくたびれた入館券だな、と思っていると、建物の入り口で回収していた)。建物の正面には、これまた巨大な、高さ16メートルの毛沢東の像が建っている。記念館に入るためには、荷物を預けなければいけない。ペットボトルの持ち込みも不可である。開封していないものは預かってくれるが、開封したものは、入り口の脇に置いてある大きなゴミ箱に捨てざるを得ない。

 この博物館は、2009年8月に完成したばかりのもので、記念館前の広場は38,000平方メートル、館内は約30,000平方メートル(うち、3分の1が展示スペース)もある。館内は6つの区画に分かれ、長征を終えてから建国までを様々な展示物で解説している。いろいろと面白い物はあるし、新市場の街並みの再現など、展示にも工夫があって、1930年代半ばから40年代までの中国(共産党側)の歴史を知るにはいいのだが、なにぶん広すぎて、展示・解説を真面目に見ていてはいつまでたっても進まないし、足早に眺めるだけだと頭にも入らず、面白い部分も見落としてしまうということで難しい。メリハリを付け、自分の関心のある所だけ丁寧に解説を読んで、他は流すしかない。私は、その方法で2時間かかった。館の入り口でガイドツアー(有料)を申し込むと、人民解放軍の制服のようなものを着た人が、マイクで説明しながら案内してくれるらしく、そのような団体をいくつも見たが、ものすごいペースで通過していってしまう。館内には二つの売店がある。売っているものの大半は、いわゆる「お土産」でしかないが、延安時代の共産党に関する本やDVDも多少は置いている。

 記念館のすぐ南東側には、「王家坪革命旧址」がある。ここは、1938年11月20日、すなわち、日本軍による最初の延安空爆が行われ、中共中央が楊家嶺に移動した日から1947年3月まで、共産党軍委員会と八路軍総司令部という軍関係の中枢が置かれた場所である。共産党指導者の住居は、鳳凰山→楊家嶺→棗園と移動したが、八路軍総司令官であった朱徳だけは、1941年5月に楊家嶺からこの王家坪に移ってきている。

 ここには、毛沢東朱徳彭徳懐といった指導者の旧居の他、軍委員会の会議室、軍委員会礼堂といった建物が残っている。旧址内の案内によれば、旧址の左背後に周恩来の旧居があるということだったが、そこに至る塀には鍵がかけられていて、確かめることが出来なかった。毛沢東は棗園が本拠地だったので、1946年1月から翌年3月まで、時々ここに来ていただけだし、周恩来重慶に駐在していた時間も長かった。朱徳彭徳懐だって、前線に行っていた時間が長いので、「旧居」とは言っても、彼らがずっと生活していたと考えてはいけない。

 この中で特に重要なのは、「軍委員会礼堂(ホール)」である。1943年に完成した煉瓦と木で作られた平屋で、200人ほどしか入らないさして大きくない建物だが、非常に均整の取れた、安定感のある優美な姿をしている。私は、この建物を見た時、法隆寺を訪ねた時の感動を思い出したくらいである。「工芸品」と言ってよい。延安の数ある歴史的建造物の中で、歴史的価値を考えなかったとしても見に行く価値があるのは、この建物だけだと思う。八路軍関係の重要な会議や宴会が開かれ、1945年8月30日には、日本労農学校学生の送別会も、ここで催された。