「桃浦かき生産者合同会社」という試み(2)



 牡鹿半島南側、県道2号線沿いで最も石巻寄りに位置する桃の浦には、震災前65軒の家があった。津波でそのうち62軒が流失・全壊し、居住不能となった。現在、桃の浦に住んでいるのは、3軒4名に過ぎない。65軒のうち、カキの養殖をしていたのは19軒(人)であったが、そのうち1人が死亡し、3人が廃業を決め、1人が個人で事業の継続をしようとしている。残った14人も、多くは60歳を過ぎた高齢者であるし、今後どうするかについてはいろいろな葛藤があった。桃の浦には仮設住宅を建てるための土地がなかったので、各地の仮設住宅に入った。一度町に出てしまうと、やはり生活の便がよいため、産業がなければ桃の浦に戻ろうという気にはならない。そんな中で、漁業特区の話が出てきた。話を聞いて、養殖業の再開とともに浜の再生もできるのではないか、若い人が移り住んで来ることを期待できるのではないかと思い、会社の設立を決意した。

 私は、特区が実現することによって、マルハや日水のような超大手とも言うべき会社が漁業会社を設立し、漁業者を社員として取り込むことで、一見、効率的・合理的な漁業を展開しながら、実はその会社が利益を搾り取り、効果的に漁業が行われる割に浜の漁業者は潤わない、ということになると思っていた。ところが、それが誤解であったのか、「今のところは」ということなのか、それらのような超大手は参入しておらず、浜の漁業者自身が会社を立ち上げ、それに仙台水産という流通会社がバックアップすることで、生産から販売を一連のものにするということだ。

 仙台水産が、黒子として浜の漁業者を操るわけではない証拠に、出資金は、漁業者が450万円であるのに対して、仙台水産は440万円である。つまり、漁業者自身に経営に関する様々な決定権がある。単に生食用として売るだけではない、かきの加工や流通に関して、仙台水産という会社が様々なアドバイスをし、バックアップはするけれども、最終決定権は漁業者なのである。漁業者の言葉からも、仙台水産に対する感謝の言葉は聞かれたが、疑念や不信のようなものは感じられなかった。少なくとも今は、双方の信頼による円満な関係が成り立っているようである。

 会社なので、従来のように、カキが獲れればそれが収入というのではなく、漁業者は月々決まった給料というものを受け取る。昨年秋に海中に下ろしたカキの水揚げを、今年12月1日から始めるそうであるが、昨年、本来であれば春のうちにすべき作業が、震災によって秋になってしまったため、カキの成長も不十分で、あまり多くの収入は期待できないという。会社を立ち上げて登記したのは、今年の8月30日のことだ。もちろん、会社の設立後は社員に給料を支給している。どうしてこんなマジックが可能かと言えば、やはり仙台水産というしっかりした会社がバックに付いていて、当座の給料を貸してくれているのだそうだ。

 もちろん、そのお金は最終的に仙台水産に返さなければならない。「なんとか3年で黒字に転じてくれれば・・・」と語る状況なのに、それまで給料の不足分を仙台水産から借り続ければ、借金はなかなか返済困難な金額に膨れあがるように思われた。

 そのことについて尋ねると、なんと現在は、被災者を雇用すると1人月額20万円の補助が会社に入るというシステムがあって、この会社の社員は全員が被災者であるため、とりあえず、漁業収益がなくても月20万円は借金にならないそうだ。ただし、このお金は、後日支給されるものだし、2年目、3年目と徐々に減額されていくので、やはり仙台水産の支援がなければ、現在の状況をくぐり抜けていくことは難しいという。しかし、同様のことを、震災後以外の状況下で行うよりは、はるかにしのぎやすいということになる。

 お金の話と言えば、今月14〜15日、社員全員で広島に行くそうだ。目当ては、自動カキ剥き機の視察である。この地域では全て手作業で行われているカキ剥きを、全国一のカキの産地・広島県では、機械によって自動化する取り組みを進めている、それを見に行くのだという。広島の取り組みが、カキ養殖業の新しい道を開くものだとしても、聞けば、自動カキ剥き機は1億円以上する極めて高価な物らしい。これも仙台水産の支援を当てにしているのか、と思いきや、実は、震災復旧のために新たな投資をする場合、条件に合えば億単位の援助金がもらえるのだそうだ。

 だから、これらのような震災特例とも言うべき様々な制度が活用できる今はチャンスなのだと言う。このような金銭的な援助の仕組みは分かっていなかったが、よく考えてみると、「震災後の今がチャンスだ」という言葉は、水産高校の中でもよく使うような気がする。

 ことが「食」という生命維持の原点とも言うべき問題であり、食糧自給率が3割前後という日本では、水産業を衰退させるわけには絶対に行かない。震災で大きな被害を受け、一部の漁業者が廃業した上、さまざまな援助を受けることができる今は、白いカンバスに絵を描くがごとき創造の喜びがあると言える。まして、漁業特区は知事が漁協とのトラブルを敢えて犯してまで実現させようという新しい試みである。その最初の実践例であり、続く二番手が登場の気配がないとなれば、知事自らがこの会社を守り抜こうとするに違いない。「桃浦かき生産者合同会社」の皆さんの穏やかな笑顔の中に、そんな「希望」のすばらしさを感じた。(続く)