ロリン・マゼール



 日曜日の夜9時からのEテレが、「N響アワー」から「らららクラシック」に変わって以来、ほとんど見ることがなくなった。その歯の浮くような番組名も気に入らないし、クラシック音楽に馴染みのない人にも分かるようにというコンセプトが、妙に中途半端な番組を作ることになったとの思いもある。司会者(男の方)も気に入らない。

 ところが、先週の日曜日(11月25日)は、なんとロリン・マゼールがスタジオに登場するという。彼のデビュー当時を含めた昔の写真も登場とかいうので、久しぶりに見てみた。

 ロリン・マゼールは御年82歳。かつてチェリビダッケが君臨していたミュンヘンフィルの音楽監督であるが、むしろ「神童」という言葉にこれほどふさわしい人物は、現在生きている人の中には多分いないという点で興味が引かれる。パリ生まれのアメリカ育ちで、血にはユダヤ、ロシア、ハンガリーが混じっている。指揮者としてのデビューはなんと8歳!Wikipediaによれば、デビューはニューヨークフィル、9歳でフィラデルフィア管弦楽団、10歳でNBC交響楽団、そして10代半ばまでにはアメリカのほとんどのメジャーオーケストラの指揮台に立っていたという。驚異!!10代後半に、学業(哲学や数学)の都合もあって、若干のブランクがあったようだが、基本的には終始一貫、指揮者およびバイオリニストとして、世界の第一線に立ち続けてきた。1960年、わずか30歳で、アメリカ人として初めてバイロイト音楽祭に登場、ベルリンドイツオペラ、ウィーン国立歌劇場クリーブランド管弦楽団バイエルン放送交響楽団などの音楽監督を歴任した。その気があったのに手に入らなかったのは、ベルリンフィル音楽監督ポストくらいである。少しこの手の音楽を聴く人で、この人の赫々たる名声を知らない人はいない。正に巨匠中の巨匠である。田舎に住む身として、今や直接その演奏に接すること、お会いすることはかなわないにしても、生きて語るマゼールは見てみたいと思った。

 と書いては見たものの、私自身は別に彼のファンでも何でもない。むしろ面白いと思うのは、これだけ能力が評価され、世界の大舞台でもてはやされてきた演奏家であるにもかかわらず、私の心をさほど引き付けはしなかったということの方だ。昔はFMでよくその演奏に接したが、今、我が家にある千何百枚かの録音の中から、マゼールのものを探してみたら、たった3種類5枚、ベートーベンの『フィデリオ』、ヴェルディの『椿姫』という二つの歌劇と、1980年のウィーンフィルニューイヤーコンサートのライブが出て来ただけだった。しかも、歌劇の方は、どちらも、その曲で最も安い全曲盤を探したら指揮者がマゼールだった、というだけである。マゼールを積極的に選んだわけではない。

 おそらく、この人は音楽的能力も、オーケストラを操る能力も、超一流の人だ。しかし、いささかの批判を恐れずに言えば、「優等生」であり「無難」なのである。そして、その芸術が人(と私のことを一般化してよいかどうかは??)を動かすためには、あくの強さというか、強烈な個性というか、何かデモーニッシュなものが必要なのである。残念ながら、マゼールは、そのためにはあまりにも円満な人格者であり、器用な音楽家でありすぎた。その結果として、私は彼に引力を感じなかったのだ。

 実演に接すれば、録音で聴くのとはまた全く違う印象を受けるだろう。特に、マーラーショスタコーヴィチストラヴィンスキーのような、大規模オーケストラで複雑精緻なアンサンブルを要求する曲を聴けば、マゼールのオーケストラ操縦術がすさまじい快感になって迫ってくるのではないかと思われる。

(実は、一度だけ実演に接したことがある。1984年2月18日、パリのシャンゼリゼ劇場で行われた、フランス国立管弦楽団の演奏会である。当時マゼールは、このオーケストラの首席指揮者で、曲目は、ドビュッシーの『海』、ベルクのバイオリン協奏曲、ラヴェルの『ダフニスとクロエ』全曲。プログラムが当時の私の趣味に合わなかったことと、シャンゼリゼ劇場天井桟敷という、なかなかとんでもない席(=これについて一文が書けるくらい)だったこととによって、全然印象に残っていない。)

 テレビで放映されたのは、インタビューの他、今年10月にN響定期に登場して、自らが編曲したワーグナー『指輪』抜粋版を振った時のものであった。年齢を感じさせない明晰な指揮によって作り出されたワーグナーの世界は、N響マゼールに対する全幅の敬意もあって、非常に雄大で統一感のある立派なものであった。しかし、やはり私は「頭」でそう思っただけ。その音楽が、番組が終わった後も、頭の中で尾を引くというようなことはなかった。音楽で人を動かすというのは難しいものだな、と思う。