S君その後、及び、静かな渡波校舎



(1月18日付学級通信より)


 先週のこのプリントで、1月2日に街でばったり会った石高時代の教え子S君のことを書いた。大学卒業後13年間勉強を続け、昨年みごと司法試験に合格したあのS君である。

 いつも通り、その記事を多少手直ししてブログに載せたところ、S君からメールが届いた。このメールは諸君へのメッセージとも言うべきものなので、肝心の所だけ引用しておこう。

『根性があるスポーツマンというわけでもなく、また、若き日の初志を貫徹したわけでもなく、ただの東北の片田舎の平凡(…というより、ちょっとグダグダ気味)な高校生が、

当時の能力からしてかなり分不相応な夢を持ってしまったせいで、その後の人生の半分ぐらい、七転八倒いろいろありながら、それでも諦めず、周りに支えられ、時には心配され、時には呆れられ、それを通り越して今度は逆にまた応援され、そんなこんなで歩き続けてきた結果、気が付けば、こんなところまで来てしまっていた。ただそれだけです。

「やっぱ、ハートの強い人間じゃないとダメじゃん。所詮、俺らには関係ねえよ」

みたいに伝わってしまうと、私という人間の本来の姿から離れるだけでなく、先生の本意も伝わらなくなってしまうような気がします。

強いわけでもない、頭がいいわけでもない、極めて平平凡凡な人間でも、歩き続けさえすれば、そのうち、なんかイイコトある(…かもしれない)よ、というのが、私の来し方を語る上でのミソだと思います。

もし、生徒さんのなかに、思春期の悩みの真っただ中でもがいている人がいるならば、

彼ら、彼女らが求めているのは、変に脚色された英雄譚などではなく、もっと自分に身近な、等身大のロールモデルのはずです。

信念とか、根性とか、本物とか、そんな大げさな言葉を使わずに、「フツーの人が、フツーに頑張ればいいんだ」ということを伝えてあげて下さい。』


【結局「自分次第」ということ・・・静かな静かな渡波校舎】

 渡波に戻って授業が始まり、10日ほどが経った。諸君がどう思っているかは知らないが、私は「学校って本当はこんなに静かな場所なんだっけ!?」という驚きを強く感じている。隣に他の教室があることを忘れてしまうくらいだ。逆に言えば、プレハブって本当にうるさかったんだなぁ。

 新学期が始まって間もなく、そのことに気付いた先生達が、「もしかすると、これで生徒達もずいぶん落ち着くんじゃない?全てはプレハブのせいだったんだよ」などと話していた。しかし、世の中はそんなに甘くなかった。授業への取り組みは相変わらずで、お世辞にも状況が良くなったとは言えない。

 結局、環境は生かすも殺すも自分次第。この落ち着いた環境で、しっかり逃げずに学業と向き合い、自分を伸ばすことの出来る人もいれば、逆に、気持ちの良い昼寝のための静寂と受け止める人もいるのだろう。更に見方を変えれば、この環境で自分を伸ばせる人は、プレハブの騒々しさの中でも、それを言い訳にせず、自分を見つめ伸ばせるし、今の環境で勉強しない人は、プレハブにいれば、その騒々しさを口実として利用するだけなのだろう。つまり、何もかも「自分次第」ということである。せいぜい頑張ってくれたまえ。


【なかなか順調らしいアメリカ遠征】

 同行しているS先生から、学校あてに、毎日写真付きメールが届くので、野球部諸君のアメリカ珍道中のことが少しは分かる。彼らとアメリカはひどく不似合いなので、そのトンチンカンが面白い。

 シアトルを皮切りにあちこち訪問した後、1月15日、お目当てのウッドランズ高校に着いた。生徒は英語でのプレゼンテーションにも馴れて上手になってきたようだ。数名の生徒(ここにE2の2名が含まれるかどうかは?)から、「英語のボキャブラリーが足りない」「もっと勉強しておけばよかった」などの向上心の表れとも言える言葉が聞こえるようになったと、S先生は喜んでおられる。

 昨日は、メインイベントとなるウッドランズ高校との野球の試合が行われたはずだが、その結果はまだ届かない。どうなったかなぁ・・・?


(裏面:12月11日付『日本経済新聞』より文化欄「獲物は嵐 カメラハンター」(青木豊氏筆)を引用

平居コメント:「お金」になるかならないかに関係なく、「夢」は存在する。「お金」にならない「夢」の方が純粋である分、人の心をワクワクさせるような気がする。)

この他、珍しく表に、1月7日付『毎日新聞』より、「真健康論 朝食の意義」(當瀬規嗣氏筆)を引用した(コメント無し)。