万石浦の防潮堤のことなど



 いま栽培実習場に行くと、先日孵化させたヒラメの幼魚を見ることが出来る。体長数ミリの、半透明の幼魚である。私も初めて見て知ったのだが、生まれたばかりのヒラメというのは、目を正面に向けて、絶えず水中を泳いでいる。これが、成長とともにだんだん左に寄っていき、体も平板になって、海底の砂地にべったりとへばりつくようになるのだそうだ。言われてよく見ると、すでになんだか体が歪み、目が少し左にずれかけているのがいる。面白いものだ。その進化の歴史を、ヒラメは一生のうちにもたどるものらしい。

 外に出て海岸に立つと、北の方、万石浦の岸から2〜3メートル離れた所に、ゆがんだ四角形のベニア板が建てられているのが見える。そこにその大きさ、その形の防潮堤が出来ますよ、という印だということだ。間もなく工事は始まるらしい。栽培漁業類型の某先生が、某所に次のように書いていた。行間に怒りと悔しさの滲み出ているような文章である。


津波による直接的被害のなかった万石浦に2mの堤防が作られます。栽培漁業類実習場ができた時から実習海面として使用していた「干潟」は堤防建設により消失してしまいます。

 数少ない万石浦の干潟の一つがなくなることで、目に見えることではヒガンフグの産卵場所やアサリの生育場がなくなることになります。

 岸からは万石浦が見えなくなり、船への乗り降りにはハシゴが必要になります。海岸を散歩する仮設住宅の人たちは、今後のことは知らないらしく、堤防のことをお話しすると皆、驚かれます。

 いつ、どこで、どのようにして決まったのか、今更知っても仕方ないことかもしれませんが・・・

 干潟の生態調査は、7/25に予定している広島大との合同調査で終わりになります。」


 既に何度となく書いているので、今更しつこく繰り返さないが、震災後の復旧事業の中で、防潮堤の建設ほど愚かなものはない。いったいこの次いつ来るか分からない津波、逃げればいいだけの話なのに、膨大なお金と資源・エネルギーとをつぎ込んで、人と海とを引き離し、後世に維持管理の大きな負担を負わせ、それでも本当にそれが役に立つのかどうか分からないという代物である。しかも、万石浦のように、東日本大震災による最大級の津波に襲われてさえ、内海であるがためにほとんど被害の無かったところに防潮堤を作り、生態系を壊し、宮水の学校生活(授業)を始め、人々に不利益を与えるというのは、まったく理解できない。宮水は、この防潮堤工事のために、艇庫も移転を余儀なくされる。代替地は・・・?「自分たちで探せ」と言われたと聞いたことがあるが、本当かな?こうなってくると、震災よりも、震災後の施策(人災)の方がよほど迷惑でたちが悪いと感じられてくる。まるで人間の愚かさを象徴するようだ。

 しばらく前に新聞でも報道されたとおり、宮水には新校舎が建築される。平成28年度の完成だそうだ。これ自体はめでたい。ところが、その工事のために、期間中グランドが3分の2ほど使えなくなることが分かった。ただでさえ、仮設住宅建設のために、野球部とテニス部が使っていた第2グランドが使用不能となっていて、野球部は6キロも離れた、水さえない沼津のグランドに通っているのである。

 幸い宮水には、グランドのすぐ北側に、かつて養魚池のあった場所を埋め立てた第3グランドというものがある。地下水脈の影響とかで、すぐ水の浮いてくる場所であり、「グランド」とは名ばかりで、整地はされておらず、イベントの際の臨時駐車場として使うのが関の山といった平坦地だ。しかし、ここをグランドとして必要最低限整備してくれれば、校舎新築工事の間も、体育や部活へのダメージを最小限に抑えることが出来る。ところが、そのお金は一切出してもらえないそうだ。

 世の中の金の使い方というのは、一種の権力闘争であって、様々な人の利害が絡み合い、そこに役所特有の縦割り問題があって、なかなか誰にとっても納得の行く決定をするのが難しいことは、私にも理解できる。しかし、万石浦を始めとする各地の防潮堤工事や、まだまだ使える市立病院の解体のようなことにはお金が出てくるのに、被災していまだに不自由を強いられている高校の、最低限の体育や部活の場所を整備するお金さえないというのは理解できない。ま、今の世の中、私の常識は世の中の非常識であり、私に理解できることなんてほとんど無いわけだから、これらもその一種、というだけのことなのかな。