医者は偉い・病気は恐い



 先週の日曜日の夜、ちょっとした酒席に出た。少し遅れて、知り合いのK医師(消化器内科)が入ってきた。私と視線が合うと、両手で自分の頬を抱えるような仕草をし、「ちょっと太りましたか?」と言った。う〜ん、さすがは医者だ。私が学校その他で、最近「太った太った、困った困った」と言い歩いても、「えーっ?平居先生、全然そんな風に見えないですよぉ!」としか言われないのである。多分、私に気を遣ってそんな風に言うのではなく、本当にそう思っているのだ。それに比べてK医師、日頃患者の全身から発せられるあらゆるサインに基づいて診断を下しているだけのことはある。デリカシーが違う、と感心した。

 実は、私がK医師に感心したことの背後には、最近、NHKで金曜日の夜10時から放映している『ドクターG(ジェネラル)』という番組にはまっている、ということもある。「ドクターG」と称せられる一流の(?)総合診療医が登場し、自分がかつて診察した症例の再現ドラマを見せながら、スタジオに来ている3名の研修医に病名を当てさせるという番組だ。画像やデータを出来るだけ使わず、診察と問診からどれだけ病気を絞り込めるかというのがテーマで、加えて、再現ドラマを最初から通しでは見せてくれず、途中で止めては考えさせるという形になっているからたいへんだ。

 この番組を見るようになってから、私は、医者というのは偉いものだな、と尊敬するようになった。非常に多くの病気とその要件(症状)が、よくぞこれだけ整理された形で頭の中に入っているものだと思う。しかも、神経や血管といった解剖学的な知識と合わせて、どこがどうなれば他のどこにどんな症状が表れるかも知れない、ということを実に合理的・多角的に考えている。かつてC型肝炎の患者をしていた時に、肝炎の症状がいかに十人十色であるか、ということを実感した記憶はあるのだが、一つの病気の症状の出方が、決して一通りではなく、むしろ様々であるからなおのこと診断はやっかいだ。病気が一種類という保証もない。日頃、熱を出したか何かで医者に行っても、普通は「ま、ただの風邪ですね。抗生物質と解熱剤だけ出しておきましょう」くらいしか言われず、待合室にいる人のほとんどは似たような人なわけだから、大きな総合病院にでも勤務しているならともかく、普通の医者というのは退屈であると同時に、ボロい「商売」のように思ってしまっていたわけだ。

 というような話を、私はその酒席でK医師にもした。K医師は、「『ドクターG』は医者が見ていても面白いですよ。私も毎週見ています」と話し始めると、「私なんかは、番組に出ている研修医が、どうしてそのように答えるのか、ということをすごく意識して見ていますね。それから、病院で日常的に行われているカンファレンスって、あれと同じようなものですよ」と解説してくれた。そして、「町医者をやっていても、一見他愛もない症状の患者さんが、本当に命に関わるような重大な病気を持っていないかはいつも意識していますし、しょっちゅう、とは言いませんが、30分もかけて問診をすることもあれば、実際に意外な病気を発見して大きな病院に回す、ということもけっこうありますよ」と語った。やはり医者というのは、本当はえら〜い人たちなのである。

 ところで、私は以前から、日本人は医者に掛かりすぎだと思っている。ほんのちょっとのことで、いちいち医者に行く。これほど気軽に医者に行く国民というのは、世界的にも珍しいのではないか?このことの背後には、極めて優れた健康保険制度があって、ほとんど全ての国民がわずかな自己負担(最近はずいぶん高くなったけど・・・)で病院に行けたという事情もあるだろうし、権威に弱い国民性故に、「お医者様」の診断がないと安心できない(許せない)という事情もあるような気がする。万事において天の邪鬼な私は、余程のことでなければ、医者になど行く必要はなく、調子が悪ければじっとしていればいいのだ、と思い、それは「信念」にも近いものになっていた。

 困ったことに、『ドクターG』に出てくる症例というのは、他愛もないものが少なくない。昨日の例(感染性心内膜炎)だと、1時間くらい記憶が飛んだ、左肩や腰から足にかけてが少し痛い、数日前に2日間38度5分ほどの熱を出して体がだるかった、というのが症状である。38度以上の熱は深刻だが、2日で下がれば風邪か疲れだったと思うだろうし、憶えていないなどというのは、哀しい哉、日常茶飯事だ(笑)。体のあちこちが少し痛む、というのも珍しくない。他の日の例でも、少し頭痛がしたとか、腰が痛むとか、症状はありふれているものが多い。それでいて、最終診断は命に関わるような病気であることが多いわけだから、やはり、他愛ないことでも、「とりあえず医者に行く」は必要なのかな?と思い直してしまう。

 『ドクターG』を見ていて、医者に対して敬意を抱くようになったのはいいことなのだろうが、ちょっとの症状でも、深刻な病気のサインであると思ってしまうのは、あまり愉快ではない。となると、医師自身はなおのこと、自分の体調からいろいろな心配をしてしまうはずである。それもK医師に尋ねてみたところ、「その通りですよ。自分であれこれ考えて、それでも心配な時には、同業者に電話をして意見を聞いたりもしてしまいますね・・・」と言っていた。余計な知識は持たずに、時が来たら訳も分からずコロリと死ぬ。やっぱりそれが一番・・・ということかも。