最後の地引き網



 そう言えば、昨日は、勤務先の近くの磯で我が子と自然観察をした後、もっといろいろな種類のお魚を観察しよう、と言って、宮水の栽培実習場に立ち寄った。日曜日だというのに、二人の先生とゾーケン(増殖研究部)の生徒が5人いた。M先生が、「あ、平居先生残念!いま地引き網が終わったばっかりですよ・・・」とおっしゃる。私としては、最近とみに増えてきた実習場水槽の魚や、地引き網で採れた魚を子供と観察できればいいので、地引き網が終わった、ということにはさほど「残念」という気がしなかった。

 ところが、M先生は続けて、「宮水でおそらく最後の地引きですよ」とおっしゃる。これは聞き捨てならない。思わず、「えっ?!例の防潮堤工事との関係ですか?」と言うと、「そうよ。今お盆で工事休んでくれてるけど、杭みたいなの1本5分くらいで打てるから、明日工事が再開したら、1日で干潟は無くなるのよ。なんでこんな工事必要なんだろね。本当にしょうもない(←M先生は三重県出身なので、少し関西弁が残っている)」と怒っているような悲しんでいるような表情で言われた。「少し場所を変えても、網引けたりしないんですか?」と尋ねてみたが、いくら学校の教育活動で行うささやかな調査とは言っても、漁業権との関係で、漁業者の了解を取りながら、地形的にも適当な場所を探すのは非常に困難なことらしい。

 そういえば、夏休み中に、国の借金が遂に1000兆円を超えた。「1000」とあるから、一見身近な数字のようで、危機的な感じがしにくいが、1000000000000000円と書けば、正に天文学的数字だな、と思う。我がささやかな4人家族で、3000万円近い借金をしていることになる。私のような小心者は、これを見ただけで恐ろしくて仕方がないのに、なぜか、「お金がないんだから出来ないよ」と言われるのは、学校の教育環境に関わること(施設設備と教員定数)ばかり(?)で、社会全体として見た場合は、「お金?なければ借金すればいいじゃん」という発想に従って動いているように見える。この辺の理屈と発想と心理は、本当に想像さえ及ばない不思議な世界だ。

 ともかく、M先生たちが生徒と共に長年自然観察のフィールドとしてきた実習場前のささやかな干潟は、津波ではなく、人間の力によって1〜2日中に消える。これが愚行であり、悲劇でなくて何だろう?