我が家の風景・・・復興祈念公園や歩道について



 6月以来、我が家から見える風景について書いていなかった。久しぶりに、直接見えない部分も多少含めて、石巻の風景を書いておこう。

 我が家から見えていた二大建築物のひとつ、石巻文化センターが、ついに9月の上旬に消えた。これで、7月に消えた市立病院とともに、二大建築物が無くなったわけだから、もともとよかった我が家からの眺望は、ほぼ完璧となった。20年前に、私がこの地に住むようになった時は、市立病院こそなかったものの、文化センターは既にあったわけだから、これほど視界がスッキリしたのは初めてだ、ということになる。日和大橋は、ほんの一部が排水機場によって切れるだけで、ほとんど全貌を見ることが出来る。田代島や網地島もよく見える。今年は、9月以降、快晴の日が例年よりはるかに多いように思うが、まるで我が家からの風景が回復したことを祝福してくれているようだ。網地島航路の船が北上河口を出入りする様子も、のんびりと優美である。

 もっとも、少なくとも船が見えるのは束の間の話である。なぜなら、北上川には忌まわしき巨大防潮堤の建設が始まっているからである。河口部分の防潮堤の高さは、海抜7.2m!!これが、北上川の平均水面からどれだけの高さになるのかは分からないけれど、さすがの我が家からでも、川はほとんど見えなくなるだろう。市立病院の跡地に、大きな土盛りが築かれている。何かは分からないが、もしかすると、防潮堤のサンプルだろうか?

 建物がほとんど壊し尽くされてしまった南浜町は、ほとんど何も変わらない。秋になって、広大なセイタカアワダチソウの広場になってしまった。大雨が降ると、湿原地帯のようになる。唯一変わったのは、日和大橋の西の袂に大量に集めてあった被災自動車が、少しずつ処分され、もうほとんど残っていない、ということくらいだろう。

 この場所に作られる予定の「復興祈念公園」に関する動きが盛んになってきた。年度内に基本構想を策定するとかで、「復興祈念公園の在り方を考える市民フォーラム」なる会議が、先月20日に開かれた。

 南浜町は、我が家からトコトコ階段を下りていけばほんの1〜2分。そこにきれいな(?)公園ができれば、我が家の庭みたいなものだから、被災した土地の利用方法としてこれほどありがたいことはないのだが、そう喜んでばかりもいられない。フォーラムでは、いろいろな人がそれぞれの立場でご意見を述べていたようであるが、私には「おめでたい」としか思えない。人々は、公園の建設費、更にはその維持費をどのように考えているのであろうか?新聞報道を見る限り、誰一人費用のことなど考えている風ではない。しかし、本当に南浜町全体を公園化するのだとすれば、地図に基づく私の大雑把な計算ではあるが、35ヘクタール以上に及ぶ広大なものである。そこに植えられた樹木を管理し、草刈りをし、花を植えるとなると、毎年、膨大な経費がかかり続けることになる。後世の負担は、おそらく防潮堤の比ではない。それ、どうするつもりなのかな?

 今年8月20日に書いたことだが、巨大津波が来たとなれば、そのこととの関係でしかものが考えられない、今やっていることが将来に向けてどのような影響を与えるかについて考え及ばない、というのは「見識が低い」以外の何物でもない。セイタカアワダチソウの野原も困るが、公園は、多分将来もっと困る。

 一方、震災後2年半以上経って、ようやく歩道整備の工事が始まった。日和大橋や魚町で工事が進んでいる。これも以前(今年4月18日)嘆いたことがあるが、震災後、車道はあっという間に整備されたのに、歩道は手付かずだった。手付かずどころか、地盤沈下による冠水を防ぐため、車道部分だけはかさ上げされた所が多く、実質的に歩道がなくなったため、歩行者や自転車は、車が通る幅ギリギリの車道を、車の邪魔になることに気兼ねし、危険な思いをしながら通らなければならない状態がずっと続いていた。歩道には大きな穴が開いていたりもして、それも危険だった。私でさえ(?)自転車で通勤する気になどならず、自転車通学の高校生を見ては、気の毒だなぁ、と思っていた。それがようやく、解消へ向けて動き始めたようなのである。あまりにも遅い、とは思うが、市役所に文句を言ったこともないので、偉そうには言えない。まずは、よかった。

 と、こんな感じ。