学んだら使う、使うために学ぶ



(12月5日付け学級通信より その1)

 

 12月に入った。言うまでもなく「師走(しわす)」である。日頃は悠然と構えている先生も走り回る慌ただしい月ということだが、年から年中バタバタしている現在においては、12月が特別だという実感はない。今年もあと25日で終わるということより、諸君の高校生活もあと2ヶ月(卒業式までなら3ヶ月)で終わる、ということのほうが切実だ。諸君はどうかな・・・?

 ところで、昨日、答案返却が終わった後、2学年だけはLHRが行われた。修学旅行の準備である。そう言えば、諸君(私たち)の修学旅行からもう1年が経つ。今年は来週の火曜日(11日)から4日間である。しかも、諸君の時と違い、N・Tも含めた学年全員による修学旅行だ。というのも、乗船実習のためのアメリカビザ取得が不要となり、N・Tの諸君も東京(アメリカ大使館)へ行く必要がなくなったからだ。

 学年全体で旅行に行けるのはいい。しかし、宮水に来た最初の年に、ビザ取得旅行を水産高校独特のイベントとして、いわばエキゾチックとも言うべき気持ちで見守った私としては、少し寂しい感じもする。ま、それはともかく、いい旅行になりますように・・・。


【学んだら使う、使うために学ぶ】


 中間考査の成績が出た。成績会議がまだなので、コメントは次回にして、「学ぶ」ということについて少し書いておく。

 「現代文」の解答用紙では、冒頭に、本文や問題文の中で使われている漢字は絶対に平仮名で書くな、と書いておいたにも関わらず、ぐじゃぐじゃと乱雑な平仮名ばかりが並んでいるのを見ていると、なんだか気が滅入ってきた。考査の答案だけではない。復習用のプリントも『学級日誌』も同様だ。例えば・・・

「昨日、仙石線多賀城駅の高架事業が突了したとのニュースを知りました。高架化前はみ切りのじゅうたいもんだいになっていたようで、それがかいしょうできてよかったと思います。」(『学級日誌』11月18日)

 もちろん、「突了」は「完了」の誤字で、太字が、漢字で書いて当然だろう、という部分である。こういうのを見ていると、諸君が勉強を嫌う理由がよく分かる。多分、「学ぶ(覚える)」と「使う」はまったく別々の作業なのだろう。こうなると、「学ぶ(覚える)」という作業は、実生活とは何ら関係のない点数を取るためだけの「苦役」である。

 学ぶ、覚えるという行為は、それだけで楽しい「目的」にもなることができる。しかし、諸君のレベルでは、必ずしもそうではないし、そうでなくてもよい。ただ、これからの人生を生きていく中で、知識も知恵も必要だ。勉強することは生活のための「手段」である。よく「学校でやる勉強なんて役に立たない」という大人がいるけれど、私は、勉強しない人の言い訳だと思っている。勉強はいくらでも役に立つ。問題は、役に立たせられるかどうか、必要性に気付けるかどうか、である。


(裏面:11月19日付け『石巻かほく』より、「迷惑カラスもう寄せ付けない〜ごみ集積所に新アイデア」を引用

平居コメント:11月14日に知財知的財産権)の講話があった。この記事は、我が家のすぐ近所の話。なんとも他愛もないアイデアだけれど、オリジナルで実用性があれば、実用新案や特許にもなり得る。「知財」なんて聞くと、遠いどこかの難しい話だが、要はアイデアであり、アイデアを生むために必要なのは、身近な問題に気付くということと、それを解決したいという気持ちなのだ。)