改めて、生徒会って何だろう?



(12月5日付け学級通信より その2)


 11月30日に行われた生徒会役員選挙の結果、全員が信任されて、月曜日の認証式をもって生徒会の新体制がスタートした。任期を終えた旧役員、特に生徒会長を始めとする3年生はご苦労であった。まずはそのことをお祝いしたい。

 ところで、認証式を見ながら、新生徒会のスタートに当たって、3つのことを思った。


 1.会長・副会長の信任率は、どうしてこんなに低いのだろうか・・・?

 会長は66%、副会長は52%と68%の信任率であった。これは、異常な低さだ。不信任票を入れた人がどのような思いに基づくのかは知らない。だが、1・2年生の場合、自分にも立候補の権利がありながら立候補しなかった人は、不信任票を入れることに慎重でなければならない。自分では逃げ回り、やっている人には文句を言う、というのはフェアではないからだ。

 2.「生徒会」とは生徒全員による集団である。

 認証式で壇上に上ったのは、あくまでも「役員」である。それが、至る所で「生徒会」と呼ばれることに、私は強い違和感を持つ。役員の側にも、一般生徒の側にもそのことが常に意識されていなければ、生徒会なんて単なる御用組合(上の者に都合がいいことを下に押し付けるための集団)になってしまう。

 3.校長挨拶はあるのに、なぜ新生徒会長は話す機会がないのか・・・?

 認証式で、校長挨拶の後に新生徒会長の大演説があるのかと思っていたら、何もなく終わってしまった。なぜだろう?全校生徒に向かって話すべきは、校長ではなく、むしろ会長なのではないか?ついでに言えば、旧会長の退任の挨拶も欲しかった。2と合わせて考えると、これは単なる偶然やうっかりではなく、今の生徒会の体質を表すかも知れない。


 と、こんなことを書けば、諸君は、「もう俺達には関係ない」と言うだろう。しかし、諸君が出て行く社会にも、政党、労働組合から町内会までいろいろな集団はあるわけで、組織の性質を考え、組織によって何を成し遂げるかと考えることから無縁でいられるわけではない。生徒会というのは、そもそも、そのための練習の場だからね・・・。


(裏面2:11月23日付け『河北新報』より、「ネット匿名神話崩壊」(中川淳一郎筆)を引用。

平居コメント:私は匿名反対派である。それはほとんど全て無責任で卑劣だ。「匿名だからこそ可能な内部告発」は確かにあり得るが、それがネットの場である必要はない。匿名でなければ「自由な批評」ができないとすれば、それは一見「自由」でありながら、実は「無責任」なのだと思う。仮に、本当に、無責任ではない「自由な批評」ができないとすれば、匿名によって「自由な批評」を守るべきか、「自由な批評」を保障できない社会を批判すべきか・・・悩ましいところだ。)