人の糞尿で育ったアヒル?



(1月16日付け学級通信より・・・その2)


【最近の授業から・・・】

 授業日数も残すところ、今日を含めてわずか12日。各教室に出入りする回数も、残り4〜5回に過ぎない。中間考査からの時数が少ない割に、休み明けの1週間、どの教室でも、悠然と雑学にうつつを抜かすことが多かった。山の高さの話、宇宙の中を私たちがどれくらいの速さで動いているかという話、国の借金の話、日本三景の話、マチュピチュと「日本のマチュピチュ」の話etc・・・。もちろん、準備していった話などなく、諸君とのやりとりの中で生まれてくる話ばかりだ。だから、クラスによってやっていることが全然違う。

 そういえば、今年のお正月、石巻市内のある飲み屋で、20年近く前の教え子たちとばったり会って、いろいろな話をする機会があった。私の授業の話になった。某君は、「平居先生の授業と言えば、北京ダックのアヒルは、池の上に作られたトイレから落ちる人間の糞尿で育てられている、という話ばかりが強烈な印象として残っている。他は覚えていない。」という話を、大きな声でする。5回くらい繰り返していたから、よほど強烈な印象だったのだろう。国語教師・平居にとって、これほど不名誉な話はない。一方、○○先生の授業なんて何も覚えていない、という話もよく聞くので、そう言われなかっただけマシなのかな、とも思う。

 アヒルの話は、数限りなくしたいろいろな雑談の中のほんの一つに過ぎず、しかも、この話こそは生徒の記憶に残る、などと意識して話していたわけではない。もちろん、そんな予測は、しようと思っても絶対に不可能だ。いろいろな話をして、たまたま誰かの記憶にその内の一つか二つが残る。これが私たち教員の仕事なのだな、とも思うし、それこそが人間と人間との関わりなのだな、とも、人生なのだ、とも思う。


(裏面:1月11日付け『朝日新聞』より、(教育2014世界は、日本は:10)「逆境のなかの喜び〜教科書1冊をみんなで」を引用

平居コメント:学ぶことの原点、と同時に、甘えて豊かさの上にあぐらをかいている人は、やがてこんな人たちに打ち負かされてしまう。)