クラウディオ・アバド

 クラウディオ・アバドが亡くなった。80歳。1月21日の新聞で知ったが、夜のNHK7時のニュースでも報道された。日本のオーケストラの音楽監督をしたことがあるわけでもない(指揮台に立ったことさえない?)指揮者の訃報が、一般向けの夜のニュースで報道されるのは非常に珍しいのではあるまいか?

 我が家には、アバド指揮のCDが20枚くらいある。この5日間、それらの中から気の向くままに1日1枚ずつ、マーラー交響曲第4番(1978年録音)、モーツァルト・ピアノ協奏曲第20・21番(独奏:F・グルダ、1975年)、シューベルト・ミサ曲第6番(1986年)、ヴィバルディ「四季」(独奏:V・ムローヴァ、1986年)、ブルックナー交響曲第4番(1991年)と聴いてきた。

 モーツアルトのピアノ協奏曲は、私がアバドという人に興味を持った最初の録音だ(当時はカセットテープ)。グルダという名手が主人公のはずの協奏曲で、これほどオーケストラにインパクトを受けるというのは驚きであった。激情に満ちていて、しかも音楽がひどく凝縮された感じに聞こえた。それが、特に20番では曲想とぴったりと合っているものだから、グルダのピアノ(←これはこれで名演!!)やベートーヴェン作のカデンツを上回る印象を受けたわけだ。また、マーラーブルックナーを聴いていると、独奏状態となるパートの音が非常に伸び伸びと美しいことに感心させられる。もちろん、指揮者以前に、実際に楽器を鳴らしている人の力量が大きいわけだが、不思議なことに、オーケストラの楽器というのは、やはり指揮者によって変わるものだと思う。これに匹敵するものは、クレンペラー指揮のベートーヴェン「ミサ・ソレムニス」くらいしか思い浮かばない。どの録音でも、聞こえて欲しい音が、聞こえて欲しいように鳴る、そんな安心感も絶大だった。

 不思議なことに、この5日間で聴いた上の録音のうち、「四季」がヨーロッパ室内管弦楽団である他は、すべてウィーン・フィルだ。アバドは1986年から5年間、ウィーン国立歌劇場音楽監督で、ウィーン・フィルの第1指揮者とも言うべき立場にあったわけだから、不思議というほどのことではないはずだが、やはりカラヤンの後のベルリン・フィル芸術監督になったという印象が強烈だし、在任期間もウィーン国立歌劇場の倍以上(12年)なわけだから、家中探してもアバドベルリンフィルのCDが3枚しか見つからない(ムソルグスキー展覧会の絵」、ヴェルディ「レクイエム」、プロコフィエフ・ピアノ協奏曲第3番)のは、やはり不思議である。アバドが実際にウィーン、ベルリンでそれぞれどれくらいの録音を残したのかは分からないが、マーラーのうっとりするような優しく美しい独奏楽器の音を聴いていると、ウィーンの方が相性がいい(本人も好んでいた)のではないか、と思われてくる。

 80歳ともなれば、仕方がないのだけれど、やはり惜しい人を亡くしたものだと思う。昨年秋、松島に来る予定があって、私はチケットの抽選にはずれ、演奏会そのものもキャンセルになってしまったが、もう一度実演に接してみたかった、と切実に思わされる数少ない人であった。合掌


(余談)

 私がただ一度、ウィーン・フィルの演奏会に行った時の指揮者は、アバドであった。1984年3月12日の定期演奏会(ウィーン楽友協会大ホール)で、プログラムは、ヤナーチェクシンフォニエッタ」、マーラー「リュッケルトの詩による5つの歌曲」(独唱:ジェシー・ノーマン)、ベートーヴェン交響曲第8番であった。この時に限って言えば、ウィーン・フィルアバドも、さほど特別な存在には思えなかった。

 会場で知り合った日本人が、「私はアバドに会う方法を知っている。君はアバドに会ってみたくないか?」と言うので、この大人物を間近で見られることに引かれ、終演後、のこのこ付いて行った。楽友協会の1階(地下?)内部に関係者用の駐車スペースがあって、そこに、楽屋から出てくる「裏口」があった。誰でも入り込めるのに、人の気配のないがらんとした場所だ。15分ほどすると、確かにアバドが出て来た。1人である。守衛さんが私たちに「アバドだよ」みたいな仕草をする。私は特に話してみたいことがあったわけではない。私を誘った日本人も大同小異だったようだ。ただ、多少の会話の中で、これから先のスケジュールが、何年も先までずいぶんしっかりと頭に入っているものだ、と感心したことはよく覚えている。せっかくなので、演奏会のプログラムにサインをしてもらった。アバドアルファロメオを自ら運転して、手を振りながら帰って行った。やっぱりイタリア車なんだ、と思ったのも、案外たいした車に乗っていないな、と思ったのも、よく覚えている。サイン入りのプログラムは、今でも持っている。妙な思い出だ。