吉野弘



 アバドの死が伝えられた21日は、吉野弘の訃報も流れた。ただし、こちらは亡くなったのが6日も前の15日で、87歳の誕生日の前日だった。実は、えっ?吉野弘ってまだ生きていたんだ、という驚きが大きかった。

 山形出身である友人のお父さんが吉野弘(山形出身)の崇拝者だという話を聞かされたことがあって、私はその名前を覚え、『現代詩文庫12・吉野弘』(思潮社)で作品に接した。教員になった後、教科書で時々名前を見かけたし、「I was born」だけは、何度か授業で扱ったことがある。

 生まれてから2〜3日で死んでしまうカゲロウ。口は退化して食べることもできない。お腹の中には卵が充満していて、それを生むことだけがカゲロウの生涯だ。「僕」の母親も、「僕」を生んですぐに死んでしまった。寂しく、哀しげなトーンで、こんなことが描かれる。カゲロウの生涯は命を繋ぐためだけのもので、今の人間の価値観からすれば、何のために生まれてきたの?と言いたくなる状況だ。だが、どうしてもその命の価値を否定できない、いや、命の重さを感じること益々大きい、と感じさせる何かがある。カゲロウは命の哀しさと絶対的な価値を伝える装置として、「僕」と本当に上手く重ね合わされるのだ。「詩人」というものはすごいと思う。

 吉野弘については、新聞の訃報その他でも「やさしさ」が語られることが非常に多かった。確かに、優しさや人間的な温かさを感じる作品は多い。吉野弘の詩を読んでいると、山田洋次の映画を見ているような気分になる。どぎつい描写がなく、登場人物と一緒にしみじみとした気分で涙を流すことができる、という安心感だ。一方、最も強く私の印象に残った作品のひとつに、「離婚式に出会う〜中国空想旅行記」というものがある。


(前略)老婆は/老爺に一礼し/やおら、事の次第を語り出した。

『私の夫は、その昔/無一文の私を憐れんで/結婚してくれました/ささやかな夫の学問をもとでに/百文を得、五十文を得/そして、ある日/不思議な人民公社は/生活の心配を/二人から取り上げてしまい/互いの愛のありかにかかずらう/つらいゆとりを/二人の日々に投げこみました/憐れみに始まった結びつき/憐れみに始まった愛/憐れみも愛に変わる―それにはしかし/限度があり/愛とは呼べぬ異質の砂が/曇らぬ真珠となって育つことに/私は気付き/二人は気付き/それを無惨に堪えたりはすまい/いつわりのなさをそのまま磨く/そういう時代になったのだからと/二人は離婚を決意しました/親切この上なかった夫に/私は、尽きぬ感謝を贈ります』

老爺は微笑し/人々は口々に明白(みんぱい)と言い/式は終わった。


 平穏な描写の中で、書かれていることは辛辣だ。「親切この上なかった夫」に皮肉の響きはないだろう。では、なぜその相手と離婚しなければならないのだ?豊かさとともに人間は疎外されるのであり、現代は愛が育たない時代なのだということを、作者は暴き出しているのだろう。平易で穏やかな表現と、その中に込められた痛切な批判の精神・・・私にとって、これこそが「吉野弘」なのだと思う。

 出征予定のわずか5日前に戦争が終わり、戦後は労働組合運動に専念、やがて結核で3年間にわたって生死の境をさまよう。素質と、決して平穏だったとは言えない彼の人生は、やさしさと厳しさの不思議なコンビネーションを作り出した。と割り切るのは、あまりに安易だろうか?

 わずか2週間ほど前までご存命であったとなれば、一度そのお話を直接聞き、人柄を実感してみたい人だった。残念である。合掌