オトシブミ



 今年度初めて、前任校の山岳部引率で山へ行った。面白くも何ともない「面白山」(1264m)である。私が顧問をしていた時は、毎年新入部員が入るか入らないかギリギリの線で、存続の危ぶまれる気息奄々の山岳部だったが、共学化のおかげでか、新顧問の人間的魅力でか、昨年は女子を含めて11名、そして今年も6名の入部があって、絶滅危惧種状態は完全に脱出した。一方、昨日は5名の欠席者が出るなど、部全体で行動することが難しくなってきた。山行中のトラブル発生率も確実に上昇するだろう。部員がいないのも困るが、多くなっても頭が痛い。とかくこの世は難しい。

 さて、昨日は日帰りのサブ行動だったこともあり、山行が初めてという1年生も2名いたにもかかわらず、順調な山登りになった。穏やかに晴れると思っていたが、1日中どんよりと曇り、1000mを超えた辺りからはかなり冷たい風も吹いて、そのコンディションに救われた部分もあった。

 面白山高原の駅から、800mの標高差をただひたすら展望もなく登り続けるという単調きわまりないカモシカコースも、新緑の美しさのおかげで退屈しなかった。長左エ門平からの下山路は、新録のブナ林と紅葉川の沢筋が、奥深い山の雰囲気を感じさせてくれて素晴らしかった。面白山を「面白くない」などと言っていては罰が当たる。

 昨日の面白山には人がたくさん入っていた。山中で出会った人の数は50人を下らないだろう。しかも、その大半は、大学生くらいまでの若い年齢層の人たちだった。近年、山は中高年によって独占されている感じすらあるから、これは非常に珍しい。山岳部入部者も増えていることだし、若者の間で登山が復権しつつあるのではないかと明るい希望を感じさせた。

 顧問と私以外に、県の農業試験場に勤める「昆虫(主に害虫)」のエキスパート、卒業生のT君が同行していた。歩きながら、彼から山の生き物の話を聞くのは楽しい。

 歩きながら、T君が、おっ、と声を上げて足を止め、しゃがみこんだ。見ると葉っぱでできた筒状のものをつまんでいる。長さ2センチ、太さ1センチ弱の小さなものだ。


「平居先生、これ知ってますか?オトシブミですよ・・・。」

「・・・???」

「葉っぱで卵をくるんであって、卵はかえると、内側から葉っぱを食い、一枚全部食べきる頃に成虫になるんです。」

「へぇ〜!だけど、こんな風にころころ地面に転がしておいたら、動物たちにすぐに食べられちゃうよね。」

「ところが、そうでもないんです。葉っぱを食べる動物ってほとんどいませんし、巻いてある葉っぱを内側から食べれば、大きくなるまで姿を見られることもないですしね・・・。持って帰って育ててみますか?」

「蛾だろ?」

「いえいえ、カブトムシと同じく甲虫です。いろんな形のオトシブミがいて、図鑑なんかで見てみると面白いもんですよ。」


 「オトシブミ」はもちろん「落とし文」のことで、その葉っぱの巻物が「落とし文」を連想させることから付けられた名前であろうが、今や昆虫の名前が「オトシブミ」なのだそうだ。「落とし文」とは、昔々、公然とは言えないようなことを紙に書いて、路上などにわざと落としておいたものである。匿名で壁などに書かれると「落書き」になる。政権批判や内部告発の類が多かったと思われるので、さほど風流なものではないが、言葉の響きそのものは典雅な感じがする。葉っぱの巻物からそれを連想し、「オトシブミ」と名付けたセンスはなかなかなものだ。

 現役の生徒と一緒に、一つだけ葉っぱを広げ、中を見てみることにした。思いの外、器用に、丁寧に巻いてある。何もないじゃないか、とグチをこぼしつつ、広げていくと、最後の最後に針の先ほどの黄色い卵が表れた。のぞき込んでいたみんなから、ため息とも歓声ともつかない声が漏れた。気の毒だな、と思いながら、私はひとつ(1匹)持ち帰ることにした。

 帰宅後、プラスチックの観察ケースに入れ、朝晩霧吹きで湿り気を与えつつ、子どもと一緒に理科の観察が始まった。子どもたちは、のぞき込んでは「可愛い」と言っている。2センチにも満たないただの葉っぱの巻物なのに、である。おそらくはその中に息づく命の気配を想像して、心振るわせているのだろう。葉っぱの中の小さな命も、そしてそれを見つめる子どもたちのときめきもいとおしい。