前言撤回・消費税



 今年の4月1日から消費税が8%になり、そのことについての私の思いは書いた(→こちら)。ごく簡単に言うなら、1000兆円を超える借金が国にある今日、増税は仕方がなく、その税も消費税が合理的、しかし、今年の国家予算にしても、数々ある増税に伴う景気刺激策にしても、意に反することだらけ、という葛藤が私の心の中にある、という話だ。

 先週末、斎藤貴男『ちゃんとわかる消費税』(河出書房新社、2014年=「14歳の世渡り術」シリーズのうちの1冊)という本を読んだ。こういう本に書いてあることが正しいかどうかなど確かめようがなかなかないのだが、私は「おそらく正しい」と思った。そして、増税するなら消費税という従来の主張を撤回する必要を感じた。著者は消費税を、「悪魔の税制」であると述べ、「「悪魔」に痛めつけられるのは、社会の中の弱い立場の人です。弱い立場の人が、多くの負担を強いられていることが多く、高い地位にある人やお金持ちに有利に働いていることがあまりにも多い税金」だと訴える。

 私は、消費税を上げる一方で、法人税を下げようとすることについては、実に胡散臭いものを感じていたのだが、この本を読んで、そのことを始めとする様々な現象に一貫性があることが、実によく納得できたのである。一貫性とは、上の言葉にも表れていた「強い人に優しく、弱い人に厳しく」である。同時に、著者が訴えるような消費税の問題点を、なぜマスコミが報道しないかということについても、著者の主張に正しさを感じたのである。

 あまり中途半端に受け売り解説をすることは、誤解を招きかねないのだが、少しだけ書いておこう。

 私が消費税の問題として最も納得したのは、滞納率の問題である。消費税は滞納率の非常に高い税金で、現在、税金滞納の過半を占めるのが消費税である。著者はこれだけ長期的に多額の滞納が発生するのは、消費税の性質に原因があると言う。利益に課税される法人税所得税なら、利益が出ている時に、その利益の範囲内で納めるから滞納が発生しにくい。しかし、取引税である消費税は、事業が赤字でも納税の義務が生じるので、払えない人が発生する、という論理だ。確かに、100円で仕入れたものを、やむを得ず100円で売ったとすると、利益はゼロだから、所得税なら納めなくても済むが、消費税の納入は求められる。なるほど、消費税は景気の影響を受けにくいと言われているが、逆に言えば、景気が悪くて業績が赤字でも、「預かっている」消費税の納入は求められてしまうわけだ。しかも、著者がたびたび指摘するように、立場の強い者が弱い者に、消費税を「かぶる」ように求めることがあるとすれば(あるだろうなぁ)、しわ寄せは中小事業者にばかり行くことになる。

 もうひとつ、それとは少し性質の違う話でとてもよく納得できたのは、消費増税を国民に納得させるために、どのような世論工作が行われたか、ということだ。

 まず、所得税源泉徴収が行われているサラリーマンが、自営業者は「経費」を口実として脱税していると疑う、その不公平感を利用し、消費税なら自営業者もごまかせないとしてサラリーマンを喜ばせる。日本においてはサラリーマンが圧倒的多数だから、これは効果があるだろう。次に、軽減税率をマスコミに適用するかどうかという議論をちらつかせて、マスコミが政府の意に反する報道をしないように牽制する。そして、増税に関する政府広告を大量に流して、スポンサーの悪口を書けないようにする。三つ目のスポンサー作戦は、賭博場と化しているにも関わらず、それを公にされたくないパチンコ屋や、反原発記事を書かれたくない電力会社によって行われていたことと同じだ。

 政府が消費増税をごり押しすると、それによって一部の強者が得をする。一方、著者がいくら消費税の不条理を力説しても、著者が得することはあまりない。「正義と利益は矛盾する」という私の格言に照らしても、どちらがより一層正義に近いかは明らかであろう。おそらく、消費税は悪であり、それは、あらゆる政治的決定が強者のために行われていることの一部なのだ。私は、使い方を批判しつつも、消費税そのものは是とした前言を撤回する。そして、集団的自衛権も含めたあらゆる政治的策動をなお一層の疑いを持って見つめなければ、と思い直した。