磐越西線235レ



 先日、同僚とちょっとした鉄道談義をした。A先生が、今年3月に、函館で行われた日本水産学会に生徒引率で参加するに当たり、一度寝台列車に乗ってみたいと思っていたので、特急「北斗星」で行くことを考えたが、費用と時間の問題とから挫折した、という話をしていたところ、鉄道大好きなS先生が、そう言えば「トワイライト・エクスプレス」は来春の廃止が既に決まったし、「北斗星」も「カシオペア」も2年後くらいに廃止になるみたいだよ、と反応したところから「談義」になったものである。

 5月29日『朝日新聞』によれば、確かに、北海道新幹線が開業するのに合わせて、青函トンネルの電圧を5000ボルト上げる、それによって現在の電気機関車は使えなくなり、新たに電気機関車を開発しなければ、北海道行き寝台特急の廃止は避けられない、ということだ。JR北海道では、電気機関車を新たに製造するつもりはない、と断言しているらしい。

 旅行は「点」ではなく「線」である、という主張を繰り返している私(例→こちら)としては、寝台列車という情緒あふれる交通手段が消えてしまうなど言語道断、2点間を少しでも早く移動することだけが交通機関の使命だ、というような考え方は許せない。それによって失うものは大きい。その場にいた根っからの船乗り、F先生が「情緒って大事だよ。そういうものを切り捨ててっと、そのうち世の中ダメになるんだから・・・」と、私と同様のことを言っていたのは意外であり、心強かったが、それでも多分、「北斗星」は2年で消える。

 情緒といえば、それは夜を過ごす「寝台」という点にのみあるわけではない。それらの列車が、実は、日本を走る最後の「客車」であることも重要だ。以前にも書いたことがあるが(→こちら)、速さや運行効率を追求すれば「電車」に軍配が上がるのかも知れない。だが、快適さを追求すれば、「客車(機関車方式)」に勝るものはない。ヨーロッパと違い、日本はどんどん客車を廃止し、電車とディーゼルに置き換えていった。その最後の砦が寝台特急だったわけだ。「トワイライト・エクスプレス」「北斗星」「カシオペア」が廃止されてしまうと、日本を走る寝台特急は「サンライズ出雲・瀬戸」だけになってしまうが、それらが寝台電車であることは象徴的である。

 ところで、長年、鉄道旅行を愛してきた者として、最も思い出深い列車は、と問われれば、私は迷うことなく、磐越西線の「1235レ」と「235レ」を挙げる。2本の列車ではあるが、会津若松で接続していて、私の意識としては1本の列車だ。ディーゼル機関車が3〜4両の旧型客車を引く普通列車であり、「北斗星」のような呼称を持たないため、列車番号で呼ぶしかない。「レ」というのは「列車」という意味で、機関車+客車のものだけこのように称する。電車だったら数字の後にMが、ディーゼル車だったらDが付く。「1235レ」は郡山発15:14、会津若松着17:12、ここで17:48発の「235レ」に乗り継ぐと、新潟に21:11に着く。新潟では、21:23発の急行「きたぐに」か22:25発の寝台特急「つるぎ」に乗り継いで大阪に向かうことができた。私は中学時代から、長期休暇のたびに一人で宮城と兵庫を往復する機会があったので、その際、3度か4度、これらの列車を利用したことがある。

 早さだけを考えれば、これらの列車は、今の電車・ディーゼル車より、郡山〜会津若松で約40分、会津若松〜新潟で約50分、足して90分も余計にかかるダメ列車だ。しかし、本当に濃厚な風情に満ちていた。

 当時、中山宿の駅はまだスイッチバックだった。列車は本線をはずれ、引き込み線にあるホームに止まると、後退して反対側の引き込み線に入り、再び前進して本線に戻る。こののんびりした停車手続きも一つの情緒だった。冬には、ここから会津若松にかけて、猪苗代湖磐梯山を見ながら日が暮れてゆく。

 会津若松で乗り換えて、喜多方を過ぎ(18:16)、飯豊連峰の入り口である野沢(18:52)や徳沢(19:13)を過ぎると、夏でも暗くなってくる。列車は山間の勾配のある曲がりくねった線路を、ゆっくりゆっくり走る。乗客はほとんどいない。多い時でも1両に10人は乗っていなかったと思う。駅に止まる。エンジンも空調装置もない列車は静寂そのものである。プスーッと空気ブレーキを解除する音が聞こえたかと思うと、前方で機関車の汽笛が鳴り、少しの間を置いて、連結器の遊びが埋まる時のがたんという軽い衝撃とともに、列車はまたゆっくりと走り始める。外の景色はほとんど見えないが、多少の人家や街灯の明かりだけが、窓の外の真っ黒な闇をスーッ、スーッと横切っていく。外が明るくなってきて、大きな町であることが感じられてくると終点・新潟である。心地よい6時間であり、景色がよく見えないにもかかわらず、その長さに退屈した記憶がない。そして、今でも私はその列車のことをよく思い出す。

 トンネルだらけの新幹線とそれに接続する各駅停車による合理的きわまりないネットワーク、しかもそれらの全てが電車・ディーゼル車という時代、移動の記憶はどのように残り、人にどのような影響を与えるだろう?それは決して明瞭な形を取らず、もちろん数値化もできない。悪影響があったとしても決して実感できない。だが、そんなところにこそ本当に大切なものは隠れている。「かんじんなことは、目に見えないものなんだよ」(『星の王子様』)は、あらゆる場所に当てはまる普遍的な真理である。

 

(注)列車の時刻は、『時刻表』1981年10月号によったが、1976年の10月号を見てみても、発着時刻が数分前後するだけで、列車番号も同じである。