宮城丸で石巻へ(2)



 8:20に被災した気仙沼向洋高校・岩井崎を通過し、いよいよ外洋に出た。速度は12ノット(約22キロ)にまで上がっていた。以後、この速度を維持して石巻までの航海が続く。

 双眼鏡を手にした航海士が、マグロだマグロだと言うので、指さす方向を見てみると、なんとなく海面の波立ち方が変なのは分かるが、何によってマグロと分かるのかは分からない。間もなく、背びれがチラリと見えた。えっ、マグロも背びれを出して海面直下を泳いだりするんだ・・・と驚いていた次の瞬間、一頭のイルカが勢いよくジャンプした。ブリッジ内に「なんだイルカだっちゃぁ!」という歓声ともため息ともつかぬ声が漏れた。続いて、数頭のイルカが次々にジャンプした。まるで水族館のショーのように、3頭がそろって同じ角度で跳ぶこともあった。体型もジャンプの軌跡も美しく、その素早く生き生きとして自在な動きに、私はすっかり憧れを感じながら見とれてしまった。ひときわ高く弧を描いて跳び上がったイルカが、勢いよく船の下に潜り込んできたので、その姿を追おうと反対側のデッキに走ったが、不思議なことにそのイルカを目にすることは二度と無かった。そして同時に、他のイルカたちも姿を消した。ほんの数十秒間の華麗なショーだった。

 外洋はけっこう大きなうねりがある。船は舳先を持ち上げたかと思うと、次のうねりに舳先をぶつけて水しぶきを上げるという、いわゆるピッチングを繰り返すようになった。船に弱い私は例によって具合が悪くなってきた。高い所にあるために見晴らしはよいが揺れの激しいブリッジをあきらめ、生徒食堂に下りる。具合が悪いと言うと、生徒がニヤニヤ笑いながらドリンク式の酔い止め薬を持って来てくれた。途切れ途切れに映るテレビでW杯ギリシャ戦の引き分けを見届けてから、一度船室に戻った。

 寝不足でもあったので、30分あまり横になっていたが、せっかくの貴重な航海なのに寝ているのはもったいないと気を取り直し、一番揺れの少ないエンジンルームに下りることにした。若い機関士が手渡してくれた缶コーヒーを飲みながら機関長といろいろな話をした。生徒がくれた薬のせいか、船底の揺れの少ない場所にいるせいか、船酔いも落ち着いてきた。地図の映っているモニターに目をやると、早くも船は金華山のすぐ手前にいる。私は驚いて、再びブリッジに上がった。すぐ右手に金華山が見えていた。青空が広がり、うねりもずいぶん小さくなったようである。天気のせいか、海の色もぐっと青みを増している。

 10:30、出港からちょうど3時間だ。石巻工業港には13:00に着くことになっているので、まだ2時間半もある。出迎えの人たちのことを考えると、時間前に着くわけにもいかない。「沖で時間待ちですか?」と航海士に尋ねると、「いやちょうどじゃないでしょうか」という返事が返ってきた。私の感覚では、気仙沼から金華山まではそれなりの距離だが、金華山から石巻まではあと一息といった感じなので、気仙沼から金華山まで3時間、そこから石巻まで2時間半というのは信じ難い。牡鹿半島がそれほど大きい、ということなのだろうか。

 網地島、田代島、牡鹿半島を右手に見ながら船はゆっくりと進む。私はクジラやトビウオといった海の生き物を見たいと思っていたのだが、残念ながら、多少の海鳥以外には何も見えなかった。航海士が言ったとおり、13時ちょうどに船は工業港に着いた。

 貴重な経験をした、という思いから、道中を中途半端に詳しくダラダラと書いてきた。確かに、私の意識としては、生徒はどうでもよかったのである。とはいえ、狭い船内でのこと、嫌でも彼らの姿は眼に入る。私が感心したのは、ぐうたらな本科生と立派な専攻科生とのあまりにも鮮やかな対比であった。今年宮城丸に乗っている専攻科生というのは、昨年まで3年間私が受け持っていた生徒たちで、お互いによく知っているのであるが、今回、船内で動く彼らを見ていて、昨年までの彼らはこんなに立派な人たちだったかな?と驚いてしまった。

 そういえば、ブリッジには、今年専攻科を卒業して宮城丸に就職し、社会人として初めての航海を経験している最中のI君がいた。I君は実習生(生徒)として既に4回の遠洋航海実習を経験しているわけだが、「職員として船に乗るとやっぱり違う?」と尋ねてみると、「いやぁ、全然違いますね。本当に大変ですよ」と答える。「何がそんなに違うわけ?仕事が多い?」と言うと、「何なんですかね。仕事が多いというわけでもないし、先輩に怒鳴られたりもしないんですけど・・・やっぱり意識の問題じゃないですか?自分は学生じゃない、職員だと思うと、それだけで同じことをしていても大変で、疲れるんです」と言う。そう、立場が変わると気持ちが変わり、気持ちが変わるとあらゆるものが変わる。I君も昨年までよりははるかに凜とした顔つきをしている。専攻科生といいI君といい、「地位が人を作る」とは正にこういうことなのだ。

 宮水には遠洋航海実習という大イベントがある、というような話をどこかですると、決まって、「それによって生徒はずいぶん変わるでしょうね?」みたいなことを言われるのだが、残念ながら人間はそんなに簡単に変わったりはしない。長期実習による成長を実感できることはまれであり、個人差も大きい。今回、N3の生徒を見ていても、成長の実感はなかなか持てない。もちろん、だからといって、この実習が無駄だとか、今後の彼らの人生に影響がないと言うこともできない。

 今のN3の生徒は、驚くべきことに、18名中15名が船員希望である。例年、宮水から船に就職する生徒は航海・マリンテクノ両類型から合わせて10名前後だから、それがいかに異常な数字かよく分かるだろう。実習を終えて何が変わったのかよく分からない彼らであるが、来年船に就職し、職員になると劇的に変わるのだろうし、変わった時に、今回の実習の価値が分かり、それが生きてくる。多分そんなものなのだろう。

 やれやれお疲れ様。そして、私にとってもいい経験だった。(終わり)