単純は難しく、プロはえらい!・・・県民大学第1回



 もはや1週間ほど前のことになるが、宮城丸で石巻に戻った翌日、21日(土)は、以前このブログでも宣伝した宮水の「県民大学」第1回であった。結局のところ、30名の募集に対して5名しか応募がなかったので、またも父子家庭であった私は、子供を連れて参加した。

 3回シリーズの初日は、調理・フードビジネス類型の担当で、テーマは「宮城の海と食文化」である。主担当の講師は、調理類型新設のために、宮水が某調理専門学校からスカウトしてきたS先生である。専門学校で20年近く調理師養成に当たってきた一流調理師だ。実は、私も、S先生が包丁を握るのを見るのは初めてであった。自ずから期待は高まる。

 ところが、2〜3日前に、参加者が5名であると確定したのを受けて、S先生から「メニューは“寿司”でいきます」と言われた時、私はいささかがっかりした。あまりにもシンプルでありすぎて、名手の腕を見るにも、自分で何かを身に付けるにも、物足りないメニューに思われたのだ。

 さて、S先生は、まず水と昆布を入れた二つのボールを取り出した。どちらも、水の中に昆布を約3時間入れただけのものだが、片方は水道水で、片方は蔵王山麓の湧き水だという。見た目にも透明感が全然違っている。さて、どちらが水道水で、どちらが湧水でしょうか?というのがS先生の問いである。S先生は、ぐい飲みにそれぞれの水を入れて味見をさせてくれた。違いというのは鮮やかなものである。どんなに鈍感な人でも、濁った水の方が昆布の旨味がよく出ていて、こくのある美味い水であることが分かる。透明な水はくせがなく、サラサラしていて、昆布の旨味も出ていない。もちろん、濁っている方が蔵王の湧水であった。

 次にS先生が取り出したのは、炊飯器で炊いたご飯と釜で炊いたご飯である。これも見た目から歴然と違う。釜で炊いた方が白くてつやがあり、食べても粘りがあって美味い。

 そして3つめは、カツオの刺身であった。S先生が差し出した2種類を食べ比べると、片方が圧倒的に生臭みが少なくて美味い。同じカツオだが、臭みのない方は、1時間くらい前に軽く塩を振ったのだ、と言う。たったそれだけのことで、刺身の味がこれだけ劇的に変わるというのは驚きだ。

 以上3つの例から、ほんの少しのことで、食べ物の味というのは劇的に変わるということが分かった。だとすれば、たかが“寿司”でも、名人の工夫によってどれだけ奥が深く、違いの生じる料理になり得るかという予感が心の中に生じてきた。もちろん、これがS先生の「思うつぼ」というやつであろう。悔しいなんて思わない。ただただ、プロの技と食のデリカシーに感心するばかりである。

 この後、いよいよ調理実習に移る。まずは、カッパ巻き。次に、アジの三枚おろしを習い、最後にご飯を握る。おろしたばかりのアジと、S先生があらかじめ下準備をしてくれておいたネタ(1枚のお皿に、蒸しエビ、ホタテ、ヒラメ、えんがわ、穴子が載っている)を使ってにぎり寿司を作るのだが、これが難問。一見他愛もない、ご飯を握るという作業がどれほど難しいかを痛感した。手に薄めたお酢を付けて握るのだが、ご飯はベタベタくっつくし、掌ではなく指の第2・3関節の所で握れと言われても、固まらなかったり形が崩れたりするし・・・結局、おにぎりのようなご飯(S先生は「モルモット」と言って笑っていた)に、後からネタを載せて、もしくはネタと一緒に食べるのが無難だ、ということになってしまった。

 悪戦苦闘する私たちを見ながら、S先生は涼しい顔で、「寿司を握るっていうのが難しいと分かってもらえれば、それで十分ですよ」と言う。だが、確かにその通りなのだ。どんな難曲でも、プロが演奏すれば容易な曲に聞こえる。寿司も同じである。

 食品関係の数名の先生や、調理研究部の2名の生徒が補助員として付いていてくれたので、私は自分の作業に熱中してしまったが、受講者の方々もそれなりに充実感があったのではないか、と思う。実質的にわずか1時間半あまりの講座で、少しバタバタと忙しすぎた気もするけれど・・・。

 終了後、受講者の方も帰ってしまった後、オマケとして生の穴子をさばくところを見せてもらった。これまた大興奮。幼い子どもたちも、食い入るようにS先生の手元を見つめていた。単純は難しく、プロはすごい!!