急行「八甲田」と「津軽」(1)



 客車による旅の記憶シリーズ(?)3回目(前回はこちら)は、急行「八甲田」である。電車化されることもなく廃止されてしまい、今は走っていない。東北本線経由で上野青森間を走る夜行急行列車であった。私は「客車」に対する並々でない愛着と、その廃止を嘆く気持ちとから、特に連載するつもりもなくこんなものを書き始めたのだが、思えば、「急行」という種類の列車も絶滅危惧種となっている。

 JRは、急行料金を必要とする列車を、特別料金の要らない快速列車に置き換えてきた。急行列車が減少する一方で、快速列車がとても増えた。例えば、今から問題とする1977年の場合、仙台駅を発着する急行列車は、定期列車だけで「あぶくま」「いわて」「まつしま」「八甲田」「新星」「そうま」「もりおか」「十和田」「くりこま」「たざわ」「陸中」「むろね」「千秋」「もがみ」「きたかみ」「あさひ」「仙山」「月山」と18種類もあり、これに、途中まで急行で、仙台に着く時には普通列車になっているという「あづま」「あがの」を加えると20種類に上る。一方、現在はゼロであり、捜索範囲を東北6県に拡大しても、秋田内陸縦貫鉄道の「もりよし」(鷹巣〜角館)と、海峡線の「はまなす」(青森〜札幌)だけしか見つからない。国鉄がJRという民間企業になり、「商業主義」によると思われる様々な施策が行われるようになったにもかかわらず、この点においてだけは、特別料金を放棄する方向に進んでいるのは、少し不思議だ。(更に一昔前には「準急」という列車もあったようだが、私は利用した経験がない。)

 急行料金がいくらだったかというと、100キロまで300円、200キロまで400円、201キロ以上は500円であった。参考までに、特急料金は200キロまで900円、400キロまで1200円、600キロまで1400円、1200キロまで1600円、1201キロ以上は1800円であった。急行は特急の半額以下、利用する距離もあまり長くはなく、おそらく300キロ前後までが想定内といったところであっただろう。だから、急行「きたぐに」(大阪〜青森、1059.5キロ)などを乗り通すと、非常に「お得」だったわけだ。

 急行が特急に比べて格段に安かったのは、特急に比べると時間がかかるとか、短距離利用を想定していたとかいうだけの理由ではない。「格」が違ったのだ。急行列車に使用する車両は、基本的に普通列車と同じ構造のもので、座席も、背もたれが垂直で2人ずつ向かい合わせのボックスシートが標準だったが、特急は2人ずつ並び、傾斜した座席が全て進行方向を向いている、いわゆるロマンスシートが標準だった。1970年代半ば以降は、寝台列車も、ベッドの幅が急行は52センチ、特急は70センチという差がつけられるようになった。加えて、特急は指定席が基本で、上の特急料金は指定席料金込み、自由席に乗る時は100円引き、という設定だったのに、急行は自由席が基本で、指定席に乗るためには上の急行料金に200〜400円(場所と時期によって違う)の指定席券を外付けで買う必要があった。また、特急には当時まだ食堂車が連結されていたが、食堂車付きの急行は既になかった。急行は特急に比べると、明らかに「低級」だったのである。

 さて、私は1976年、中学校2年生の夏に、脳の下、鼻の奥、のどの上という困った場所に良性腫瘍があるのを発見され、大がかりな摘出手術を受けた。ちょうど父親が異動となり、宮城から兵庫に転居する時期であった。東北大学の付属病院で手術を受けて退院する時、主治医から、再発する可能性の高い病気なので、長期休暇のたびに検査に来るように、と言われた。

 親の負担は大きかっただろうが、私は大喜びだった。「塞翁が馬」とはこのことだ、と思った。長期休業のたびに、親が仙台往復の旅費を出してくれたからである。私は、親が出してくれる旅費に、自分のお金を足して「ワイド周遊券」を買った。「ワイド周遊券」とは、指定されたエリア内乗り放題の切符で、往復の乗車券も含まれていた。現在の「フリーきっぷ」がその末裔である。私が買ったのは、主に「東北ワイド周遊券」か「南東北ワイド周遊券」であるが、「東北」であれば、大雑把に言って磐越西線磐越東線以北の東北地方全て、「南東北」であれば、同じく磐越西線磐越東線以北、仙山線以南がフリーエリアとなる。姫路発の場合、「東北」は20日間有効、「南東北」は14日間有効だった。この周遊券のすごいところは、単に乗り降り自由というだけでなく、急行列車の自由席は急行料金が不要だったことだ。夜行列車も含めて、急行列車はたくさん走っていたが、全車指定席というのは寝台急行以外になく、ほとんど全ての急行に、自由席車が連結されていた。だから、当時、これは正に伝家の宝刀。機動力は絶大だった。私は仙台で15分ほどの簡単な検査を受けると、この周遊券を手に、東北地方を走り回った。急行「八甲田」は、特によく利用した列車である。