フランス・ブリュッヘン



 8月15日だったかの新聞で、フランス・ブリュッヘンが死んだことを知った。オランダ生まれのブロック・フレーテ(リコーダー)奏者・指揮者である。享年79歳。

 なぜ、半月近くも前の訃報を今頃取り上げるかと言えば、その後、例によって、我が家にあるブリュッヘンのCDをせっせと聴いていたからである。リコーダー奏者としてのものと「18世紀オーケストラ」を指揮したものが、それぞれ数種類あるだけだが、その中にはバッハの「三大宗教曲」と呼ばれるもの(「マタイ受難曲」「ヨハネ受難曲」「ロ短調ミサ曲」)が含まれたりするので、半月近くかかっていた。

 最初に言ってしまうと、指揮者としてよりも、リコーダー奏者として惜しい人を亡くした、と思った。

 確かに、「18世紀オーケストラ」の演奏も素晴らしい。だが、最近の(特にオリジナル楽器の)オーケストラは技術水準が高すぎて、解釈の違いが気にならないほど、ただただ完璧な演奏の快感に酔いしれることができる。

 最近の、オリジナル楽器のオーケストラの録音は、ほとんどがライブだ。確か、アーノンクールだったかが、「これくらい演奏水準が上がると、ライブでもミスがほとんど出ない。だから、録音はライブで十分だ。」というようなことを言っていたのを聞いたことがある。我が家にある「18世紀オーケストラ」の録音も、「ヨハネ受難曲」を除いて、すべてライブだ(「ヨハネ」も明記されていないだけで、ライブかも知れない。録音場所が「マタイ」や「ミサ曲」と同じだから・・・)。大変美しく、乱れのない完璧なアンサンブルであるが、これが指揮者の実力かというとそうではないだろう。ブリュッヘンが指揮台にいなくても、これほどの名手が集まったからには、これだけの演奏をするに違いない。私が、「18世紀オーケストラ」の演奏を特別に面白いと思わないのは、ブリュッヘンという人が、あまりアクの強くない紳士だからであるような気もする。

 バロック期に盛んに使用されたリコーダーという楽器は、音色の単純さと音量の小ささから、フルートにその座を奪われてしまい、 忘れられた。リコーダーが復活してきたのは、1920年代にアーノルド・ドルメッチが高品質のリコーダーを作り始めてからである。だが、やはり、リコーダー演奏を耳にする機会が増えたのは、ブリュッヘンが出て来てからではないだろうか。リコーダーがマイナーな楽器であり、専門の演奏家が少なかったということもあるが、私の感覚で、ブリュッヘンは背中の見えないトップランナーであった。

 ブリュッヘンのリコーダー演奏は、単に演奏技術が優れていたというのではなく、その編曲能力と表裏一体であるような気がする。今回、やっぱりこの録音が一番いい、と思ったのは、「コレッリソナタ集 作品5の7〜12“ラ・フォリア”」であるが、これはCDのライナーノートでも、その編曲のオリジナリティに関する記述がある。この曲集は、もともとヴァイオリンのための曲集であり、音域の狭いリコーダーでそのまま演奏することができない。作曲の直後、ウォルシュというイギリス人の手によってリコーダー用の編曲版が作られたが、ブリュッヘン自身が、その「編曲版は魅力に乏しい」とこき下ろし、自らの工夫によって新しい版を作っている。ウォルシュ版による演奏を聴いたことがないので何とも言えないが、我が家にあるオリジナルのヴァイオリン版(寺神戸亮の独奏)と聴き比べてみると、非常によくできた編曲版だと思う。これだけではなく、編曲というのは、ブリュッヘンがかなり力を入れた分野らしい。来日した時にバッハの「無伴奏チェロ組曲 第1〜第3番」をリコーダーで演奏したという話も聞いたことがあるが、残念ながら、現在、その録音が手に入らない。それを聴けば、ブリュッヘンの編曲能力というものが、非常によく分かるだろうと思う。

 ブリュッヘンの「コレッリ」で、通奏低音を受け持っているのは、レオンハルトチェンバロ)とビルスマ(バロックチェロ)である。この二人の演奏も本当に秀逸。思えば、レオンハルトは一昨年亡くなった。現在に続く本格的・国際的な古楽ブーム(という言葉が悪ければ「一般化」)というのは、1930年前後に生まれたレオンハルトアーノンクールブリュッヘンといった人々によって作られた。ある時代が終わりつつあるのだな、と思う。レオンハルトブリュッヘンのステージに接する機会が遂になかったのは、残念だった。合掌。