蔵王の古道復元



 3連休後半の2日間、蔵王へ行っていた。前任校の「山小屋ホームルーム」という行事(山岳部主催の一般生徒向け山小屋体験宿泊会)があり、依頼を受けて、というよりは、「3年生が卒業前の最後の機会に平居先生に会いたがっているよ」と言われ、では3年生に敬意を表して行ってくるかと、のこのこ出かけて行ったのである。

 「大気の状態が不安定」という日が続いているので、少し覚悟はしていたが、青空が広がっているかと思えば、間もなく黒い雲が広がって雨、という状態を繰り返した。おかげで、「お釜」の水辺に下りるという生徒熱望の企画は中止としたが、雷には遭わずに済んだし、夜には快晴となって素晴らしい星空が堪能できたので、あまり天気に恨み言は言えない。山岳部員以外に20人近い一般生徒の参加もあり、肌寒い中、男子生徒は歯をガチガチ言わせながら、井戸沢の滝壺に飛び込んで、大いに盛り上がった。若者の元気さがうらやましい。

 さて、バスでエコーラインにさしかかった時、私は、先週月曜日の『河北新報』に、「御山参り古道17キロ半世紀ぶり復活」という記事があったのを思い出した。遠刈田温泉から刈田岳山頂までには、江戸時代後期に開かれたとか言う、山岳信仰のための巡礼路があった。1962年に蔵王エコーラインという観光道路(1985年まで有料)が開通すると、人々は車で刈田岳に向かうようになり、古道は一気に廃れてしまった。今回、その古道を復活させるべく、古道の位置を特定することから、下草刈りと3年越しの作業を経て、その全てを復元させることができた。その完成を祝って、先週の日曜日、約100人が半世紀ぶりの「御山参り」をしたのだという。

 その昔、山は遠いものであり、人の気配のない神秘の場所であった。だからこそ、そこは神の宿る場所として信仰の対象にもなった。しかし、道路を始めとする交通手段の発達によって、山は身近な場所となった。多くの山が日帰り登山の対象となり、山中におしゃれなホテルやペンションの建ち並ぶ場所も多く、その神秘性、霊性は著しく低下してしまった。自然に対する畏敬の念の喪失、と言ってもよいだろう。50年、60年という登山歴を持つご老人の話を伺っていると、山というのは本当に遠くて、非日常的な世界だったのだ、と思わされる。それは決して「気の毒な・・・」という感情ではない。むしろ、「うらやましい」という気持ちだ。情報の氾濫する手軽な場所はロマンがなく、つまらない。

 日頃からそんなことを思う私は、蔵王の「古道」復活の話に、ひどく胸をときめかせた。今回、山にさしかかったところでそれを思いだした私は、せっかくだから、何かその情報をgetしようと思った。

 今日、山小屋からバスで下山して、遠刈田温泉に着くと、生徒が温泉に入っている時間を利用して、観光案内所で「古道」の件を尋ねてみた。案内所に情報はなかったが、古道復元プロジェクトの代表者を紹介してくれた。短い時間でアポもなく訪問するのはためらわれたが、観光案内所のすぐ近くで店を持っておられるということで、ダメモトで訪ねてみることにした。

 代表のEさんはたいそう歓迎して下さり、短時間ではあったが、いろいろな話を聞かせて下さった。ただし、復元した古道は、一部が私有地を通ることなどの問題があって、その部分を一般の人が自由に通ることについては地権者の了解を得ていないため、現時点では、古道の詳細を公にすることはできないのだ、と言う。先週の「御山参り」は試歩(登?)だったようだ。「ふかふかの腐葉土に覆われた気持ちのいい登山道なので、私たちとしてもできるだけ多くの方に歩いていただきたいんです・・・」「近いうちに地権者も含めた話し合いを行う予定なので、それで話がまとまれば、蔵王町のホームページとかで公表しますので、もう少し待っていただけますか・・・。」

 最近よくある、「地域興し=経済効果」を狙ってではない、自分たちの郷土の自然と歴史を愛するからこそ古道の復元に取り組んだ。Eさんの穏やで人のよい笑顔には、そんな思いが満ちていて気持ちよかった。古道は残念ながらエコーラインに沿っている部分が多く、静かで幽玄な山歩きとはいきそうにないが、蔵王という山の大きさは実感できるだろう。Eさんがおっしゃる「ふかふかの山道」も楽しみだ。伝統の山道を歩ける日が早く来るといい。