ミュンヘン・バッハ管弦楽団



 今日は、ミュンヘン・バッハ管弦楽団の演奏会に行った(中新田・バッハホール)。このオーケストラについては、昨年7月に創設者であるカール・リヒターについて書いた時に、少し触れた(→こちら)。リヒターが死んだ直後の1981年5月、仙台でその演奏を聴いたが、その後、主を失ったこのオーケストラがどうなったか分からない、というような話だ。

 そうしていたところ、今年の7月頃に、今日の演奏会の広告を見付けて、現状を確かめてみたくなり、都合が付くかどうかもよく考えずにチケットを買った。「宝くじ文化公演」という冠が付いていて、料金は驚きの1500円!曲目は、バッハのブランデンブルグ協奏曲全曲である。

 今回のメンバーは総勢23人だが、ブランデンブルグ協奏曲は、6曲それぞれに編成が異なるので、全メンバーが同時にステージに立つことはない。最も大きな編成が要求される第1番で19人だった。指揮とチェンバロは現芸術監督のハンスイェルク・アルブレヒトという人。

 私がローソンで買ったチケットは、前から4番目の真ん中近くだった。これはよくない。空間に広がった音ではなく、楽器の生の音が直接聞こえてくる。しかも、鳴っている楽器の音に時差が生じて溶け合わない。その結果、どうしても下手に聞こえる。だが、どうもそれは、私の席の問題だけではないような気がする。やはり、どうしても技量において、過去のミュンヘン・バッハ管弦楽団よりも何段か劣っているように思えた。

 ミュンヘン・バッハ管弦楽団というオーケストラは、もともと、リヒターとバッハの演奏をするために馳せ参じた一流プレイヤーの集団だったから、リヒターが死ねば、自然消滅するのが当然。その後、35年近く、なぜ解散することもなく、メンバーを入れ換えながら続いているのか、何の必要があって続けているのかは分からないけれど、集まってくるメンバーの質の低下、技量の低下は想定内であろう。

 しかし、私はそのことによってがっかりすることもなかった。というのも、ひどく雰囲気が楽しかったのである。ま、ブランデンブルグ協奏曲という曲も、非常に変化があって面白いのだが、何より、演奏者たちが実に楽しそうだったのだ。リコーダー奏者の大道芸人的なオーバーアクションなどもあって、ほぼ満席の会場は大いに盛り上がった。やはり音楽は、上手い下手ではなく、心のあり方こそが大切なのだ、ということをしみじみと感じた。

 珍しいシーンを見た。第5番の第3楽章で、チェンバロを弾いていた音楽監督が、楽譜のページをめくることに失敗したらしく、音符を見失ってしまったのだ。チェンバロが単なる通奏低音を受け持っているなら問題にならないかも知れないが、何しろ第5番というのは一種のチェンバロ協奏曲なのだ。チェンバロが前へ進まなくなれば曲にならない。演奏者は左手で適当な和音を刻んでごまかしながら、必死でページを探していたが、とうとうあきらめて音楽を止めた。間もなく、演奏すべきページは見つかり、止めた部分から音楽を再開した。演奏における些細なミスはよくあることだが、曲を途中で止めたのを見たのは初めてである。演奏が終わった後、会場に向かってお辞儀をする際、フルート奏者が失敗した音楽監督を慰める仕草がユーモラスで、会場はまた沸いた。

 1981年の仙台での演奏会でも、ブランデンブルグ協奏曲の第3番と第4番が演奏された。その時、ステージに何人がいたかは記憶にないし(今日よりも多かったのは間違いない)、当時のプログラムを見てみても載っていないのだが、生真面目で重厚な弦の音に鳥肌が立ったのはよく覚えている。今日のミュンヘン・バッハ管弦楽団は、その対極であった。終始ほのぼのとしたいい演奏会だったと思う。この際、名前を変えてしまえばいいのに・・・とも思った。


(おまけ)

 ブランデンブルグ協奏曲の演奏を聴く時に、興味津々なのが、第3番の第1楽章と第3楽章(?)をどのように繋ぐか、という問題だ。と言うのも、第2楽章に相当する(?)adagioの部分は、たった1小節で、2分音符の和音が二つ書かれているだけなのである。CDで聴くと、それぞれの演奏者が、いろいろな処理をしている。アイデアの見せ所といった趣だ。今日は、テオルボ(通奏低音用のリュートの一種)でバッハのリュート組曲のパロディを相当長い時間演奏し、最後の部分で和音を合わせて第3楽章へと持ち込んでいた。ブランデンブルグ協奏曲は、曲毎に独奏楽器が変わる。ステージ上の楽器で、独奏楽器として用いられないのはコントラバスくらいだから、テオルボに華やかな出番を与えたいと思うのは分からなくもない。が、それにしても斬新な試みであった。珍しいテオルボという楽器を単独で聴かせてもらえる機会があって面白いとは思ったが、音楽として成功していたかどうかについては何とも言えない。