止まった時計は24時間に1度必ず合う



 9月19日から2日間、伊福部昭という作曲家についての簡単な感想を書いた。8月30日にEテレで放映された「伊福部昭の世界」という番組に触発されたものである。その録画は、その後も繰り返し見たし、本やらCDやらをせっせと買っては、ほとんど中毒のようになっている。

 そうしたところ、10月24日に、同じくEテレの「にっぽんの芸能」というシリーズで、「作曲家伊福部昭の世界」という、8月とよく似た題の番組が放映された。やはり録画しておいて、既に4回見た。「にっぽんの芸能」というだけあって、そこで取り上げられたのは、伊福部昭の邦楽作品「郢曲・鬢多々良(えいきょく・びんたたら)」と「交響譚詩」である。前者は、1973年の作品。名前しか伝わっていない平安時代の舞曲を伊福部のイメージによって再現(?)したもので、箏×4、篠笛×2、龍笛、ひちりき、笙、能管、琵琶(薩摩琵琶と筑前琵琶)、小鼓×2、大鼓、楽太鼓という16名で合奏される。後者は、1943年に管弦楽のために書いた2楽章形式の音楽を、2001年に作曲者自身が、2台の二十五弦箏のための音楽に編曲したものである。

 「鬢多々良」を聴いていると、特にその管楽器のラインに、それ以前の伊福部の曲を思わせる旋律が表れてくるのを、多く聴くことができる。いくつかの伊福部作品を聴いたことがあれば、これほど風変わりな楽器群によって演奏されるにもかかわらず、容易に伊福部の曲だと分かるだろう。いや、旋律に共通性がなかったとしても、その全体的な響きの中に伊福部昭という作曲家を見出すことは難しくないような気がする。それほどまでに、「伊福部昭の世界」というのは独自であり、強固であり、明白だ。

 こんなことを考えながら、ふと思い出したのは、8月30日の番組で、伊福部学の権威らしい片山杜秀なる人物(慶応大学教授)が、伊福部の姿勢を表すものとして語っていた「止まった時計は24時間に一度必ず合う」という言葉だ。この言葉を聞いた時、最初私はどういう意味だかまるで理解できなかった。もちろん、番組では片山の解説が付いているのだが、「時計の針が合うのを待って、ただひたすら自分の信念を守り通すだけ」という、至って簡単な解説だ。

 意味が理解できないということで気になり続けていたこの言葉が、「鬢多々良」を聴きながらにわかに明瞭になってきた。「24時間に一度」は誤りで、「12時間に一度」が正しい。なぜなら、私は、短針が24時間かけて一回りする時計を知らないからである。伊福部は一切動かない。だが、動かなければ、やがて時間の方で動いてきて、半日に一度だけ、自分と世の中の時間が一致する瞬間が来る。今が何時かを考えながら、時間に合うように針を動かしてはいけない。自分は自分の信念を守り、書きたい音楽を書く。世間から評価されるかどうかは関係ない。時が来れば、世間が自分の側に動いてきて、自分の音楽が世間に評価され必要とされるようになる・・・こんな意味だろう。これを、世間から評価される瞬間を待ち焦がれる、と読むのは間違いであるはずだ。そんなことに関係なく、自分は自分の音楽を書く・・・ただこれだけで十分であろう。そして、没後8年目の今、確かに時間は針に重なっている。

 ここから更に思い出すのは、高村光太郎の「原因に生きる、結果は知らない」という言葉だ(→参考参考2)。「原因」とは動機、「結果」とは文字通り結果であり、評価である。何をすべきなのか、どうすべきなのか、自分と対決しながらその点をこそじっと見つめるべきなのであって、世の中の人々から褒められるために、或いは、自分の作品がどうすれば売れるかを考えながらした仕事に本物はない。伊福部の作品が私を動かすのは、単に音楽がどうという問題ではなく、そんな純粋さと確信の強さなのだろうと思う。そのことは、私自身が、そのような生き方に憧れ、目指しているということをも意味するだろう。

 10月24日の番組の冒頭で、伊福部昭の音楽が「ブーム」になっていると語られた。佐村河内の問題(→こちら)を持ち出すまでもなく、私は「ブーム」から遠い人間だと思う。むしろ、多くの人が「いい」と言えば、わざわざ距離を置こうとする天の邪鬼な人間である。それでも、伊福部の音楽はやはりいい。同時に、そんな姿勢で作られた伊福部の音楽を多くの人が評価する時代に、ある種の救いを感じるのである。