私はやっぱり「海峡」だな



 早いもので1ヶ月近くも前の話だが、高倉健が死んだ。2〜3日前に、菅原文太が死んで、「二大巨頭逝く」などという見出しもいくつか見たような気はするが、「二大巨頭」ということはない。違う個性を同列に論じられない、などという理屈っぽい話ではなく、私にとって優劣がはっきりしているからである。

 何かにつけて天の邪鬼、人がいいと言うものには首をかしげ、人が見向きもしないものに熱を上げるという傾向の強い私であるが、実は、高倉健は人並み(以上?)に好きだった。男として格好いいなぁ、と思う。よく、彼が演じるのは「まっすぐに生きる男」などと言われたりするけれど、私が格好いいと思うのは、彼が寡黙でありながら、背中でものが言えるということ、どんな辛いこと苦しいことにもグチをこぼさず、逃げずにじっと耐えて向き合うということ、今の世にありがちな、人に媚びてニヤニヤ、ヘラヘラするというのが一切ないこと、といったような点である。

 もっとも、彼は今年83歳で、私とは30歳以上違うわけだから、彼が若い頃の映画というのは馴染みがない。私が高倉健と出会うのは、『八甲田山』(1977年)以降である。偶然とは言え、このタイミングには重要な意味があったことを、最近になって知った。すなわち、任侠映画のスターであった高倉が、自分の俳優としての生き方に疑問を感じて東映を辞め、自分が素晴らしいと思い、納得できる映画にだけ出るという、いわば、俳優としての第二の人生を歩き始めた時期が、私の高倉体験の出発点と重なるのだ。

 映画の中の高倉健が、生身の小田剛一(彼の本名)と同じであるわけがない。格好いい、私の憧れる高倉健は、あくまでも映画の中での「役」である。だが、自分が納得できる映画にだけ出るために会社を辞め、フリーになったとすれば、『八甲田山』以降の彼の役というのは、少なくとも高倉自身が憧れ、そうでありたいと思っていた人間の生き方であることを意味するはずだ。

 彼の死が発表されてから、一般のテレビで放映された3本の高倉主演映画と、2〜3の特集(追悼)番組を見た。もうかつて見たことさえ忘れかけていたが、『八甲田山』と同じ年に撮られた『幸福の黄色いハンカチ』は、まだまだ「高倉健」の途上であると思い、あまりよいとは思わなかった(だから忘れかけていたのだろう)。女のことでうじうじとする男は、少なくとも私にとって、まだ「高倉健」ではないのである。

 そんな私にとって、「The 高倉健」は『海峡』(1982年)である。封切り後2〜3日のうちに映画館で見たということもあるかも知れないが、今思い出しても、高倉健(と吉永小百合)の特質を最もよく生かしている映画であると思う。新聞などの訃報で、彼の出演した200本あまりの映画から10本前後を選び、代表作として紹介する際、この映画を入れているものを見なかったのは、ひどく意外であり、不本意だった。

 高倉演じる地質学を専門とする技師が、世紀の難工事・青函トンネル建設に取り組む。高倉は、竜飛岬で自殺を図る女(吉永小百合)を助け、居酒屋に仕事を世話する。吉永は単身赴任の高倉に心を寄せ、控え目にではあるが、何かと世話を焼くようになる。壮絶な苦労の後、トンネルが貫通した日の夜(だったかな?)、高倉は吉永の勤める居酒屋へ行き、吉永に酒をつぐ。これが、吉永に対する報いの全てだ。

 ここには、仕事に命をかける剛毅な男の姿と、健気で控え目で清楚な女性の姿とがある。高倉と吉永の個性が、これほど上手く合っている役というのはそうそうない。それを男尊女卑だとか、女性蔑視だとか言う人は、勝手にそう言えばよい。だが、確かに、それは日本的な美しい男女の姿の典型なのである。

 高倉健主演の最後の映画は、「あなたへ」(2012年)である。映画の中で、田中裕子演じる妻は、悪性リンパ腫で亡くなる。この病気は、今年、高倉健の死因となった。高倉の悪性リンパ腫は、「あなたへ」の撮影の時期、既に発見されていたが、もちろん、ごく親しい人にしか知らせておらず、そんなものを映画の中に持ち込むわけもないから、シナリオを作った人にとっては驚くような偶然だっただろう。高倉がそのシナリオを読んで何を思ったか、そのことについての話は聞いたことがない。偶然であり、高倉自身の死と映画の中の妻の死というズレもあって、無理な意味づけはかえって興醒めだが、どうしても、この場合、芸の世界と私的な世界の一貫性を感じさせる効果がある。最後まで、あまりにも格好良すぎる一人の男の死であった。合掌。