池澤夏樹の「桃太郎」論をめぐって



 『朝日新聞』では、毎週土曜日に「終わりと始まり」と題した池澤夏樹の随筆を掲載している。池澤夏樹は、ファンと言うほどではないが、比較的好きなので、だいたいは目を通している。今日のお題は「桃太郎と教科書〜知的な反抗精神養って」である。『産経新聞』に、筑摩書房の国語の教科書に採録された池澤の「狩猟民の心」という随筆に対する義家弘介(前衆議院議員)の批判が載った、それに端を発する文章である。

 池澤の文章とは、「桃太郎は日本人の心性を最もよく表す物語である。悪いことをしたわけでもない鬼が、黍団子という給料で雇われた傭兵を連れた桃太郎に攻撃され、略奪される。これは侵略戦争の思想以外の何物でもない」(平居要約)というものであり、それに対する義家の批判とは、「伝統的な日本人なら誰しもが唖然とするであろう一方的な思想と見解が、教科書検定を通過して子どもたちの元に届けられたことに驚く。」(同前)というものである。さすがは「ヤンキー先生」。この批判を掲載したのが『産経』だということも含めて、甚だ浅はかだ。池澤は、桃太郎=善、鬼=悪、征伐=勧善懲悪という思い込みに従ってしか「桃太郎」を読めない人に、「本当ですか?こんな読み方は出来ませんか?人の言うことは鵜呑みにしないようにしましょう」と投げ掛けているのである。それがタイトルにある「知的な反抗精神」だ。頭を揺さぶり、思い込みを排して、いろいろな角度から物事を見つめ、考えられるようにすることは非常に大切なことであって、私は全面的に池澤の側に立つ。「伝統的な日本人」という得体の知れない主語を用い、池澤の解釈を頭ごなしに否定して、義家自身を含む「伝統的な日本人」が、池澤の言う「日本人の心性」の持ち主に他ならないことを暴露しているのは滑稽であり、哀れである。

 池澤自身は、「教育というのは生徒の頭に官製の思想を注入することではない。そんなことは教師出身の義家さんは先刻ご承知のはず。一つのテーマに対していかに異論を立てるか、知的な反抗精神を養うのが教育の本義だ。」と書く。もちろん池澤は、「ご承知のはず」とは書きながら、義家が全然「承知」していないことを知っていて、それを穏やかに批判、もしくは嫌味を言っているわけだ。そんな教育の要諦が分かっているようなら、自民党から議員になったりするわけないからね。

 話は少し変わるが、上に書いたような池澤流の「桃太郎」解釈について、池澤は、当初オリジナルな解釈だと得意になっていたものの、後に、福沢諭吉が『ひゞのおしへ』の中で同様のことを言っていることを知った、と、随筆の中で告白している。私は、もう一つ付け加えようと思う。それは、芥川龍之介の「桃太郎」という作品(パロディ)である(ちくま文庫芥川龍之介全集5』所収)。

 芥川が「桃太郎」を書いたのは1924年(大正13年)である。日清戦争が1894年、韓国併合が1910年、対華二十一ヶ条要求が1915年、1918年シベリア出兵、そして1925年には治安維持法が成立する。着々と進められる大陸侵略にたいする批判として、芥川の「桃太郎」は書かれた。これは、アメリカとアフガニスタンの関係など、応用の範囲がとても広い解釈(作品)だ。福沢の『ひゞのおしへ』は1871年だから、芥川より50年以上遡る。芥川が福沢の文章を知っていたかどうかは定かでないが、池澤の解釈は福沢よりも芥川の方がより近い。

 ところで、芥川龍之介という作家の価値もあまりよく分かっておらず、愛読者でもファンでもない私が、どうしてこんなマイナーな文章を知っているかというと、これには哀しい事情がある。

 以前勤務していた学校で、夏休みに「読書感想文」という宿題を出した。「私が」ではなく、もっと組織的な宿題だったと思う。「読書感想文」は、昔こそ定番の宿題だったが、今は、是非論もあって、以前に比べると減ったと思う。もっとも、減った理由の一つに、「コピペ」の問題もあるような気がする。つまり、自分で読書をして真面目に考えるのではなく、インターネットから例文を探して写してくる生徒がいる。読書感想文は、校内審査をして、県の審査会に送り、そこから優秀作品が全国審査にまわる。教科担当者が読んで評価しておしまい、というのならよいのだが、公になるとなれば、「借り物」を見過ごすわけにはいかない。事情を話して、やましいところのある生徒は申し出るようにと訴え、それでも安心はできないので、これはと思う作品については、インターネットでいろいろ検索して確かめるという、バカバカしい労力を費やさなくてはいけなくなった。恐ろしいことに、この感想文は怪しい、と私が睨んだもののほとんど全てが、インターネットで見つかる。まじめな高校生を疑って悪かった、と心の中で詫びる、などという機会はまずない。

 芥川の「桃太郎」も、「桃太郎」という平凡な昔話に、非凡な解釈を施した優秀な感想文を見つけ、感心すると同時に疑念を抱いた結果として発見し、記憶に残ったものである。