1週間ほど前に、人から薦められて、葉室頼昭『〈神道〉のこころ』(春秋社、1997年)という本を読んだ。私をよく知る人は、「平居が神道?・・・らしくないな」などと言うかも知れない。確かに、神道というのは、天皇陛下万歳!!実に古めかしい右翼的日本人が集まる世界、というイメージがあって、私はさほど親しみを感じていない、どちらかというと苦手な分野である。それでも、この本の中に描かれている作者の人生と、その考え方には、大きな共感を感じながら読むことができた。
著者は既に故人である。もともと形成外科医であったが、医師として仕事をしながら神職の資格を取り、最後は奈良・春日大社の宮司をも務めたという異色の経歴の持ち主である。しかも、日本の形成外科の草分け的な存在として、なかなか立派な仕事をしたようだ。それだけでなく、東洋医学を尊重し、それを上手く治療方法の中に導入している。頭の柔軟性のなせる技だろう。だが、作者が東洋医学を上手く使えるようになったのは、やはり、思想的に共鳴する点が大きかったからである。
「(東洋医学において)どうやったら健康になるかというのは、西洋医学でいう健康法とは全然違うことです。ジョギングをしたら健康になるとか、こんな食べ物を食べたら健康になるとかいうことではなくて、全くそんなこととは違って、宇宙の仕組みから見てどうやったら健康になるかということです。だからまず第一に、生かされているということに感謝しなさい。自分で生きていると思うから病気するんですよ。(中略)だから病気は鍼を刺したり手術をしたら、それでいいというのではない。まず神さま、祖先に感謝しなさい。(中略)人間の体はただのモノじゃないんだから、手術したら勝手に治るかというと、治らないんです。治すだけの力が出てこなければ治らないでしょう。栄養を取ったってだめです。やはり全てのものの根本となる感謝によって、宇宙からもらっている、祖先からもらっているエネルギーを出さなければ、本当には治りません。」
外圧をかけて勉強させても、知識は身に付かず、理解も深まらない。自分で本当に学びたいと思ったことは、驚くほど早く身に付き、上達する。思想でも同じ、体でも同じことだろう。確かに、本物は必ず内側から生まれてくる。では、その内側の力を引き出すためには何が必要か?作者はそれを、生かされていることの自覚であり、そこから生まれる感謝であると言う。自分がひどく小さな存在であることを自覚し、自分を生かしている大きな存在に対して謙虚に頭を下げる時、自分の内側が活性化されるというのは、ひどく論理に飛躍があるように見えるかも知れないが、私はそう思わない。作者の言うとおり、そうしてこそ、人間はよりよく生きられるのだろう。
おそらく、誤解してはいけないのは、「病気を治したかったら、宇宙や祖先に感謝しろ」と言っているのではない、ということだ。それは「取り引き」であって、真の謙虚さ、本物の感謝ではない。病気を治すため、ではなく、自分が生きて在ること自体に感謝すること、そうすれば、自分を生かしめているものに対する感謝の念が自ずからあふれ出てくるし、そうすれば結果として、人生がよくなっていくものなのだ、と作者は言っているように思える。
ところで、上の引用と同じようなことだが、例えば次のような一節がある。「生物は自分で生きているのではない。宇宙の心というか、神の心というか、そういうものによって生かされているというのが、本当のことです。いま人間は自分で生きていると思っている。これが大きな間違いなんです。」
実は、1983年春のことだったと思うが、私は当時兵庫県にあった実家に帰るため、東京駅から新幹線に乗った。隣の席には、60歳くらいの紳士が座った。なぜか会話が始まった。会話の中に出てくるいろいろな要素から、都の西北にあるW大学商学部の先生で、岡山の大学に集中講義か何かで行く途中だということが分かってきた。そんな大先生が、しかも仕事に行く途中であるにも関わらず、自由席に乗っているというのは不思議だったが、それはともかく、紳士は私に、突然「君は宇宙の心を信じますか?」と尋ねて来た。一瞬、私は何を聞かれたのかが分からなかった。「宇宙の心?」と問い返し、多少の会話の後に、「それは神のことではないのですか?」と問うと、紳士は「それに近いかも知れない」と言うので、私は信じる、と答えた。それ以上、どのように会話が深まったのかは、残念ながら記憶にないが、「宇宙の心」という言葉は、ひどく印象に残り、その後、折に触れて私の頭の中に蘇ってくる。
『〈神道〉のこころ』を読んで、この言葉に出会った時、私はその紳士との会話を思い出した。「宇宙の心」という言葉は、決して一般的な地位を得た言葉ではないと思う。紳士と作者がともにこの言葉を使ったのは、全くの偶然なのか、共通の出所があるのか、それは分からない。だが、この本を読むことで、私は当時「神」と置き換えることでしか理解できなかったこの言葉に、置き換えたのでは見失うような何かがあることに気付いたのである。「宇宙の心」という言葉から伝わってくるのは、自分を包み込み、育て支えてきてくれた偉大なものの雰囲気である。確かに、私たちは「宇宙の心」によって、今、このように生かされているのだと思う。