ギレリスの「皇帝」、シュタインのワーグナー



 私は現在、音楽を聴くと言えばCDかライブである。おそらく、ほとんどの人がそうだろう。しかし、私が高校生の頃は、第1にFM、次がレコードであった。もっとも、我が家にはステレオプレーヤーがなかったので、レコードは時に友人宅で聴く機会があるに過ぎず、ほとんどはFM、あるいはそれをカセットテープに録音しておいて(=「エアチェック」と言う)聴く、というパターンであった。スマホを持っている今の高校生と違って、当時の高校生はお金をあまり持っていなかった。LPレコードは、今のCDの2倍くらいの値段がしたから、そもそもほとんど手が出なかったのである。

 当時、エアチェックして繰り返し聴いた演奏で、いまだに強く印象に残っているものがいくつかある。何しろNHK・FMなので、N響の演奏が多く、次にNHKが招いたとか、後援をした来日演奏家のものが多かった。今でもよく憶えているのは、ギレリス+サヴァリッシュN響によるベートーヴェンのピアノ協奏曲「皇帝」、シュタイン+N響によるワーグナー、A・デイビストロント交響楽団によるベートーヴェンの「運命」といったあたりだ。なにしろ、しょせんは高校生。世界が狭く、他の演奏と比較してそれらがどのような価値を持つか分かっていたわけではないが、だからこそ、知解に走らない純粋さがあり、繰り返し聴いて退屈を感じなかったことに値打ちがあるような気がする。

 最近、NHKが昔のN響の演奏の中から、めぼしいものを続々とCD化していることを知った。探してみると、上に挙げたギレリスの「皇帝」(1978年4月20日)やシュタインのワーグナー(1980年2月20日)は、その「めぼしいもの」に入るらしく、CD化されていた。さすがである。心が動いた。しかし、心の中に葛藤が生じ、すぐには買うことができなかった。だいたい、「あの演奏は素晴らしかった」などと思えば、心の中で美化が進み、今それを聴いた時にがっかりする可能性が高い。加えて、CD1枚が2000円以上という今時にしてはひどく高価なものである。さて、どうしようかなぁ、と散々迷った挙げ句、結局、最近それら2種類を買ってしまった。

 驚くべきことに、聴いても一切幻滅は感じなかった。当時と同じように(?)素晴らしいと思った。断じて「懐かしい」のではない。普遍的に素晴らしいのである。

 エミール・ギレリスというピアニストは、ロシア的な強靱さ、スケールの大きさと、繊細さを併せ持った、私の最も好きな20世紀のピアニストのひとりである。1980年と言えば、彼の死の5年前。64歳とは言え、既に晩年と言ってよい。演奏から、そんなことは微塵も想像できない。むしろ絶頂期と言ってよいほどの、エネルギーを感じさせる熱演である。

 ホルスト・シュタインの演奏をテレビで初めて見たのがいつだったかは憶えておらず、その時の曲目も定かでない。しかし、彼の風貌というのは、見た人に大きなインパクトを与える。あの異様に発達した額を見て、私は最初、マッコウクジラの生まれ変わりではないかと思ったほどである。しかし(という逆接の使い方が正しいかどうかは知らないけれど・・・)、シュタインという人はすごい人である。彼が棒を振ったオーケストラの音は非常に磨かれて輝かしいし(この点については、グルダが弾いたベートーヴェンのピアノ協奏曲の方がインパクトが大きい。そちらのオーケストラはウィーンフィル)、何と言っても、ドイツらしい構造感というか、音の分厚さの魅力は比類が無い。ワーグナーの、特に「ニュルンベルグマイスタージンガー前奏曲」は圧倒的な力で迫ってくる。オーケストラのメンバーが2倍になっているのではないかというような存在感だ。

 今から30年以上前のN響ではあるが、オーケストラとしての物足りなさを感じることもない。それは、サヴァリッシュやシュタインが指揮台にいたからなのかどうか・・・? 当時は、東京に音楽を聴きに行くなどということは思いもよらなかったけれども、一度、実演に接してみたかったと今更ながらに思う。シュタイン+N響によるベートーヴェン交響曲(4曲)の録音を買うか買わないか、新しい葛藤を抱え込むことになってしまった。