白菜の花



 昨年の11月30日、花巻市にある旧宮沢賢治耕作地「下の畑」に白菜を穫りに行った、という話を書いた(→こちら)。実は、そのプロジェクトに関わっている仙台の某高校教諭T先生が、宮水の畑に白菜を植えてくれた。食べるためではない。種を取るためである。だから、昨年末に食べ頃になったにもかかわらず、そのまま収穫せずに放置し、やがて葉がべろべろになると、中央部分からトウが立ち、今月上旬から花を咲かせ始めた。

 私は白菜の花を初めて見た。最初は、なんだ白菜の花というのは菜の花と同じなんだな、と思っていただけだったが、その後、花がどんどん増えて、今では正に大爆発といった感じである。これは圧倒的にすごい。色や形は菜の花とよく似ているのであるが、全体的に大ぶりで、いかにも元気もりもり、まったく菜の花の比ではない。まるで、白菜というより、春の持つエネルギーそのものといった感じだ。どんな白菜でもこうなるのか、宮水に植えられた白菜がたまたまそういう種類なのかは知らない。

 我が家の庭に、植えたわけでもなく、菜の花が2本咲いている。2本しかないということもあるのだろうが、宮水の白菜を思い出すにつけ、そのあまりのか弱さに、なんだか情けないような哀しいような気分を催してしまう。それほど、白菜の花はパワフルである。観賞用に菜の花を植えるのだったら、絶対に白菜の方がいいと思う。いや、このような白菜の花の美しさを知っていながら、日本人は、普通の菜の花のか弱さ、繊細さの中に美を見出し、愛でてきたのだろうか、と思ったりもする。