この人の所で働きたい・・・



 今日は早朝から、6名の3年生と一緒に、塩釜へ明豊丸というカツオ一本釣り漁船の水揚げその他を見に行っていた。6名の3年生とは、カツオ一本釣り漁船への就職を考えている(積極性の度合いには温度差有り)生徒達である。就職試験の応募前職場見学に、私が便乗して付いて行ったというのが正しい(職権濫用)。

 船は塩釜港の岸壁に横付けされ、水揚げの真っ最中であった。船の冷凍庫から、かちんかちんに凍ったカツオを取りだし、ベルトコンベアーでコンテナに入れて自分の会社の工場に持って行く。499トンの船は意外に小さかった。この船に30人近い人々が乗り、太平洋の真ん中でカツオ漁をするというのは、なんとも心細いことに思えた。昨年、八興丸という新しい巻き網船を見に行った話を書いたが(→こちら)、その船も499トン、今日見たカツオ漁船も499トンというのは、なんとも理解しにくい。200トンくらい違う感じだ。明豊丸は建造して20年が経つ古い船であるが、その20年で様々な機器が進化したのは分かるにせよ、船のトン数というのは重量ではないのだから、外形的な大きさがこれだけ違うというのは不思議である。船室や食堂、エンジンルームも見せてもらったが、十分に立派だったのはエンジンルームくらいで、他は狭くて汚くて、申し訳ないが、私だったら、ここで生活しながら、1ヶ月半から2ヶ月も海の上で漁を続けるというのは耐え難いな、と思った。

 私たちを案内してくれたのは、船を持つ会社の担当者Yさんと船頭(漁𢭐長)のSさんであった(「船頭」については、上の八興丸の記事参照)。印象的だったのはSさんの人柄である。

 上で明豊丸にはおよそ30人が乗っていると書いたが、そのうち日本人は約10人で、あとの20人は外国人。10人がインドネシア人で、10人がキリバス人だそうである。国籍の異なる30人の男が、2ヶ月近くも四六時中顔を突き合わせ、太平洋の真ん中でカツオ一本釣りという激しい漁をしているというのは、私の想像の及ばない世界だ。人間関係でもなかなか面倒なことはあるだろうと思う。船頭は、船の安全航行にも、漁獲高にも、そして船員のコミュニケーションにも、絶対的な権限を持ち責任を負っている。並大抵の人間では務まらないというのは、分かるような気がする。そして今日、Sさんに会って、その仕事が務まるのは、なるほどこういう人なんだなぁ、と納得できたような気がした。

 話をしていて感じられるのは、「人間が大きい」ということである。大きな包容力を感じさせる、と書けば、少し具体的になるだろうか?ものすごく強そうでありながら、恐さよりも温かさを感じる。狭いブリッジに生徒6人が入り、Sさんの話を聞いているのを外からのぞいていると、いつもは私の言うことなんかほとんど聞かない問題児達が、なんだかひどく「いい子」になって、穏やかな顔をし、半ば神妙に話に聞き入っているのが滑稽だった。おそらく、生徒達は、Sさんに理想的・典型的な「父親」の姿を見出し、Sさんに「帰依」してしまったのではないか、と想像する。

 船から下りた時、Sさんは私に向かって、「先生、みんなええ子ですねぇ。」と言った(Sさんは四国の出身らしい)。私は思わず、「はあ、授業の時以外は・・・」と余計なことを言ってしまった。Sさんは笑いながら続けて、「この船では3人くらいしか取れませんけど、親しい船で人が足らん言うとる船もあるし、6人来てくれるんやったら、みんな面倒見ますよ」と言う。

 私はこの時、見学を終えた生徒達が、劣悪な生活環境と厳しい漁への想像から、カツオ漁船に乗る意欲を失っただろうと思っていた。会社を出てから、彼らに「どうする?」と尋ねてみると、少なくとも4人の生徒が、「乗りますよ。ここしかないでしょ!」と言う。私は驚いた。なぜ彼らがそんな気になったのだろう?確かに、給料が高いとか、一本釣りという漁法への憧れもあるのだろうが、私は案外、Sさんの下で働いてみたい、あの人の所でならやれる、という思いこそが要因なのではないかという気がした。人間の動きを決めるのは、結局のところ、人間の力であり人間関係なのではないだろうか?