ファウスト博士と分かり合える・・・



 私が勤務する宮城県水産高等学校(宮水)は、11月15日が創立記念日である。今年で満119年。来年には120周年を迎える。私の調べによれば、宮城県内の公立高校では4番目に古い。水産業が大切にされていた古き良き時代の象徴である。

 その創立記念日に、宮水では毎年マラソン大会を開催している。男女ともに同じコースで、6.4km。これは高校のマラソン大会としては全国最短クラスであろう。少々情けない。「水産高校たるものマラソンなんてやってられるかぁ!やるのは遠泳大会だ!」というなら格好いいのだけれど、残念ながら遠泳大会は存在しない。ともかく、今年は11月15日が日曜日なので、予備日を取ることも考慮して、今日がマラソン大会であった。今年も私はランナー。日頃から片道7.5?を自転車で全力疾走して学校へ通っているのに加えて、2週間に6回ほど、体育の授業に交ぜてもらって練習した。この歳になると、練習しなければ体を壊すが、練習しすぎても体を壊す。さじ加減がどうにも難しい。

 本当に年々「歳」を感じる。以前は、走っていて楽しかったのに、最近は苦しみの方が大きい。デブ化は相変わらず(→参考)悩みだが、案外、際限のない悪化の道はたどらず、BMIで「太り気味」という領域には踏み込んではいない。なんとか、その直前で踏み止まっている。にもかかわらず、走ることが負担だというのは、やはり「歳」なのだろう。気分的には、20歳の女の子とでも恋が出来ると思っているのだが、現実は厳しい。先日、ふとしたことから教頭が同じ歳であることを知った。自分の年齢を客観的に見つめるチャンスである。そして・・・、他人から見ると私もこんなおじさんなんだ、と、絶望的な気分になった(教頭先生ごめんなさい)。

 9月に、久しぶりで人間ドックというのに行った。意外にも3つの数値と1つの画像診断で「異常」との判定が出た。もっとも、数値の異常は、正常値が200までのところ201といったレベルなので、医師にも「これを異常値と言う必要があるかどうかですねぇ・・・」と言われた。おそらくたいしたことはないだろう。画像診断の「異常」は、超音波検査で前立腺肥大を指摘されたことであった。一方、動脈硬化の進み具合を調べる検査では、40代前半相当との判定もいただいたし、宮水の養護教諭には、この歳でこれだけデータがきれいな人はそうそういませんよと、と言ってもらった。それでも、肝臓にC型肝炎という病気を持っていた時代(→C型肝炎の記録)こそ、肝臓の数値に異常が出たことはあったものの、それ以外に異常値が出たことはないので、「やっぱり歳なんだろうな」と、自分なりに暗い気分になった。

 さて、今日は最高のマラソン日和であった。微風快晴、気温は低め。死んだら元も子もないので、ほどほどにしようと思いつつ、私を見ると生徒が対抗意識をあからさまにするので、この挑発に乗らないようにするのはなかなか難しいな、と思いながらスタートした。

 結果は、必死で頑張ったというほどではなかったが、28分14秒の25位であった。昨年は27分40秒の26位だったので、34秒余計にかかったことになる。意外だ。もっともっと遅くなったと思っていた。もっとも、一昨年は29分5秒だったので、それから思うと大健闘だ。まぁ、タイムを短縮できたにしても落としたにしても、たいした問題ではない。確実に老化しているという実感からは逃れられないのだ。そして、歳を取ることの哀しさ・寂しさが、再び身に迫ってくる。

 「ひとり灯の下に文をひろげて、見ぬ世の人を友とするぞこよなうなぐざむなるわざなる」(『徒然草』)。最近になって、私にとってひどく共感できる、「見ぬ世の人」の「友」は、ファウスト博士である。