これを楽しむ者にはしかず



 先月の20日に、6人の生徒と一緒に塩釜まで、カツオ一本釣り漁船の見学に行った話を書いた(→こちら)。その後、6人のうち4人は、その漁船への就職が決まった。社長の話によれば、カツオ漁船に新卒の高校生が4人も来るというのは、業界でちょっとした話題になっているそうだ。感心されたり、羨ましがられたり、どうしたら若者を連れて来られるのか、ノウハウを教えろとか言われたりして、社長としては鼻が高いらしい。宮水では、現在さらに2人の生徒が、他の会社のカツオ一本釣り漁船に就職する話が進行中である。

 この1ヶ月、カツオ漁船を甚だ身近に感じながら生活していたところ、一昨日の夜、NHKの「プロフェッショナル」という番組で、明神学武(みょうじんまなぶ)というカツオ一本釣り漁師(漁労長)の特集を見た。昨年11月に放映されたものだが、好評によってアンコール放映だそうである。録画しておいて2度見たが、確かに面白い。ただ、やはり、ひ弱な似非知識人である私などに務まる仕事ではないな、とも思った。

 番組の冒頭、カツオ漁は命がけ、いつも危険と隣り合わせの世界だ、というようなナレーションが入る。実際には、カツオ漁船で死者が出たという話は記憶にないから、番組をドラマチックなエンターテインメント番組としてだけ見られないよう釘を刺すための言葉に過ぎないだろう、と思う。しかし、高校の就職番として生徒を船に乗せる立場からすると、一種独特の凄みを持つ脅し言葉として胸に響く。

 それはともかく、番組の中で、明神が何度も繰り返す言葉がある。「楽しい」という言葉だ。

 カツオの群れを探し当て、漁が始まると、カツオが次々と釣り上げられる。漁師達は、空中で魚から針を外すと、カツオは傾斜のある屋根状の板の上に落ち、そこから滑ってベルトコンベアーに乗る。この、カツオが落ちた時の音がなかなか激しい。明神は、カメラに向かって「楽しいじゃろ?」と笑いかける。

 釣ったカツオを水揚げするために、船は気仙沼港に入った。久しぶりで陸に上がった船員達は、歯医者だ散髪だといって、思い思いの場所に出掛けて行った。明神は船に残っている。漁労長という責任ある立場だから船を離れられない、というわけではないらしい。様々なデータを集め、次の漁に向けて作戦を練っているのだ。「楽しい。楽しいから苦にならん」と言う。まぁ、こんな具合だ。

 「これを知る者はこれを好む者にしかず。これを好む者は、これを楽しむ者にしかず」とは、『論語』の中の有名な一節だ。「これ」という指示語は、具体的な何かを指し示しているわけではない。だから、「知っている人よりは好きだという人の方がいいし、好きだという人よりは楽しいという人の方がいい」という意味になる。つまり、境地として最高なのは「楽しい」という状態なのだ。

 自分が楽しいと思うことを仕事に出来る人は幸せである。しかし、例えば野球選手でも、野球が好きでプロになりながら、仕事として成果を求められるようになると苦しみに変わる、ということは少なくないだろう。スポーツ選手や芸術家は分かりやすいが、どんな職業でも、多かれ少なかれそういうことがあるに違いない。

 番組の決まりパターンとして、最後に「プロフェッショナルとは何か?」が問われる。明神の答えは「その仕事が好きで好きでたまらん人」というものだ。「中途半端に好きな人は、あんまりプロフェッショナルな人はおらんと思うけどね・・・」と続ける。世の中には「好きこそ物の上手なれ」という言葉もある。「好きで好きでたまらん」結果として、「楽しい」がある。

 明神はまだ40歳。しかし、この10年間で4回、カツオ一本釣り漁船の水揚げ日本一になったことがあるそうだ。しかし、漁労長になりたてのころは、漁獲高が低迷したどん底の時期があったらしい。カツオ漁船に乗ってから20年以上、漁獲高の上がらないダメ漁労長としての苦しみも味わった後だからこそ、彼が言う「楽しい」は、一つの境地として価値がある。

 残念ながら、あるいは申し訳ないことに、私にとって高校教員は、決して「好きで好きでたまらん」こととは言えない。では、そういう人間が、一体何に自分の存在価値を見出していくのか?プロフェッショナルな人を見て、「すげぇなぁ〜〜」と思うと、対極にある我が身の至らなさが身に染みる。明神の笑顔は常によかった。