選挙制度雑感



 先日「一票の格差」について、私がどう考えるかということを書いた(→こちら)。大雑把に言えば、それはかなり観念的な議論であって、実際に格差を是正するとなると、大都市と地方の格差を悪化させるという点で問題も大きい、といったような内容である。原理主義者であることが多い私としては、「らしくない」内容であったかも知れない。選挙制度について思う所を、少し補足的に書いておきたい。

 その後、全国3紙+河北新報+ネットの範囲で、その問題について、人々がどのように考えているのかは多少の関心を持って見てきた。中で最も共感を覚えたのは、11月28日の朝日新聞「耕論」欄に載った慶応大学教授・坂井豊貴氏の見解であった。前段で司法が従来よりも積極的であるべきだと述べた上で、後段において氏は、現在の日本の選挙制度で問題とすべきは、一票の格差よりも、むしろ小選挙区制を要因とする死に票の多さであると主張する。まったく同感だ。日頃から私が思っている日本の選挙制度(主に衆院選だが、それ以外にも関わる)の問題は、第一に死に票の多さ、第二に被選挙権行使の難しさ、である。

 大阪、橋下徹氏のやり方が典型事例となるが、最近、選挙に象徴される民主主義を、「勝てば官軍、負ければ賊軍」の論理で理解する傾向が極端なまでに強い。つまり、選挙で勝てば何をすることも許される、負けた側への配慮は必要ない、というかのような態度を、勝者が往々にして取るということである。民主主義が正に「民主」主義であって、選挙で勝とうが負けようが、政治家が、より多くの人が幸せになることが出来、不幸せな人がより少なくなるようにという観点で政治を行うならば、当選者を決める上での「死に票」は、さほど問題とするに値しない。しかし、たとえ1票差でも勝ちは勝ち、などという発想が横行するようになってしまうと、死に票の存在は致命的な社会的欠陥となってしまう。坂井氏も言うとおり、昨年12月の衆院選で全小選挙区の4分の3の議席を獲得した安倍政権は、有権者の24%の票を得たに過ぎない。せめて制度的に死に票を少なくする工夫をしなければ、世の中は大暴走をしかねない危険なものとなってしまう。

 被選挙権行使の難しさというのは、供託金の大きさに代表される。立候補の際に数十万円から300万円のお金を法務局に預け、一定の票数(有効投票数の10分の1くらい=供託金の金額とともに、選挙の種類によって違う)を得られなければ、没収という制度である。いい加減な気持ちではなく、それ相応の覚悟を持って立候補するよう促すための制度だということを聞いたことがある。だが、例えば私=公務員の場合、立候補するためには仕事を辞めなければならず、その上300万円を払って、惨敗した時には没収というのでは、立候補はあまりにも困難だし、立候補は裕福な者の特権になってしまう。

 また、選挙というのは、単に当選を目指すというのではなく、社会的な意見表明の機会でもある。絶対少数と分かっていながら、一石を投じるための立候補はあってもいい。だが、現行制度では、よほど裕福な人でなければそんなことはできないし、そうなると、社会的弱者が選挙によって積極的な社会参加をする道は閉ざされていることになる。

 立候補者が増えすぎると、選挙管理委員会の負担も増えるだろうが、果たして、供託金をゼロにしたとしても、おもしろ半分の立候補者が増えて困るというようなことに本当になるだろうか?また、雑多な意見が交わされることで世の中が活性化されるというメリットは、少々の手間をかけてでも守るべきだろうし、少数意見が乱立することで票のつぶし合いをすることになるデメリットを考え、立候補希望者自身が、候補者の統合を目指すという動きも自然に起こるはずである。

 もう一度、話を一票の格差に戻す。実は、選挙区ごとの一票の格差よりも、私は世代間の一票の格差を考えた方がいいと思っている。言うまでもなく、少子化の影響で、若者は少ない。平成23年(2011年)の統計によれば、20〜24歳が全体の4.98%であるのに対して、5歳刻みで、25〜74歳の全ての層が5.5%を超えている。ピークは60〜64歳でなんと8.32%だ。つまり、60代前半は20代前半よりも1.67倍の影響力を持っている。以前書いたことだが(→こちら)、2012年12月の衆院選で、20代の投票率は38%、60代の投票率は75%だった。分母となる人数を考慮すると、60代の影響力は20代の2.5倍を超えることになる。投票に行かないのは、その人の責任なので同情に値しない、というのは確かだが、それでも、もともと1.5倍を超える格差があるのは、現在の政治的決定のつけが将来=若者に回ることを考えると不公平であり不合理だ。具体的にどうしたらいいかは分からない。まずは、若者が危機感を感じて投票に行くように促すことの方が大切かな、と思うが、それだけでは済まないだろう。 専門家から選挙制度に関するいろいろな提言が為されていることは、ある程度知っている。だが、政治家たちは大義名分を立てながら、自分にとって有利なやり方を探しているのが見え見えである。制度が合理的なものになる可能性は低い。やはり、一足飛びに選挙制度の改善を言うよりも、まずは現行制度の中でまともな人を当選させるように努めるしかない、ということになる。