Aと会った喜び



 我が家では、年末に一族で温泉に一泊旅行をする。一昨年は、家族で関西旅行をしたので、母には申し訳ないと思いつつ実施しなかった。昨年は、12月29日に鳴子(なるこ)温泉に行った。

 毎年、場所は変わるが、意識してわざわざ変えているというわけではない。気分と宿が取れるかどうかの問題だ。県外に出たことはないが、わざわざ県内に限定して場所探しをしているわけでもない。鳴子温泉は、家族みんなが大好きなので、1年おきくらいに目的地となる。いろいろな泉質の源泉があり、宿の質も値段の割に高く、有名な共同浴場「滝之湯」は、東北の田舎びた温泉場の情緒満点だ。鉄道の駅からほとんどの宿が徒歩圏内で、石巻や仙台からの鉄道旅行としても程よい距離である。

 さて、例年に比べると暖かく雪が少ない年末とは言え、小牛田で陸羽東線に乗り換えてからは、ずっと雪景色を見ることが出来た。鳴子には雪がしんしんと降っていた。宿は快適この上ないホテルである。たいした宿泊料でもないのに、夕食も豪華版。我が一族は、おひつの中まで含めて、何一つ残さずに食べ尽くした。既に主のいない隣の席は、三分の一くらい残したままで席を立っていたから、なんだかその浅ましさが恥ずかしいくらいだ。もちろん、仲居さんは「本当に嬉しいお客さんです」とニコニコ顔だ。子どもたちは「○回温泉に入る!!」と言って、部屋と風呂場を行ったり来たりしていた。

 朝になった。朝食はバイキングである。会場で、見たことのあるような顔に気付いた。目が合ったが、相手が表情を変えないので、人違いだろうと思ってそのままにした。私は視力が極端に悪いので、教員であるにもかかわらず、人の顔の判別が非常に苦手なのである。

 席でコーヒーを飲んでいると、近くを通ったその男とまた目が合った。男は私の方にすーっと近付いてきた。やはり宮水の卒業生Aだ。

「お久しぶりっす。元気すか?」

「おお、Aじゃねえか。いま何やってんだよ。」

「土建やってます。今日は職場の忘年会で・・・。」

「ああ、○○工業ね?」「はい。」

 前の夜、私たちが夕食をとっていた時、近くの宴会場から盛大なカラオケの音が聞こえていた。部屋に帰る途中、宴会場の前を通ると、「○○工業 様」という掲示が出ていた。聞いたことのない会社名だったが、こんな年末に、社員旅行だか忘年会だかをやる会社なんてあるんだ、社員にとってけっこう迷惑だったりしないのかなぁ、と思いながら見ていたこともあって、記憶に残っていたのである。

「元気そうで何より。よく私のこと憶えていたな・・・。」

「はい、先生変わんねっすから。そのうち学校に遊びに行きますんで、他の先生たちにもよろしく。・・・んで。」

 Aは、私が宮水に異動した年に1年だけ教科担任として受け持った。入学前から、なかなか大変な生徒だということが、中学校の先生たちから漏れ伝わってきた。職員室で、問題の予想される生徒として話題になったほどである。会ってみると、体格が立派で、少し凄みがあった。授業が始まった。こちらが身構えていたほど場を混乱させるような生徒ではなかったが、何ともふてぶてしく、最低限の勉強をしていれば文句はねぇだろ、といった態度がありありと見えた。いわゆる「学校を舐めている生徒」というやつである。他の問題児の黒幕的存在であるようにも思えた。ともかく、いろいろな問題は起こしつつも、かろうじて致命的なことにはならず、3年前の春にAは卒業した。

 この日鳴子で見たAは別人だった。いかにも真面目に労働にいそしんでいるという雰囲気が、全身から漂っていた。少し凄みのある風貌は相変わらずだったが、それが逆に、汗水流して地道に働く労働者らしさのように見えた。Aが在学中、私にどのような印象を持っていたかは知らないが、あえて知らん顔をする(←こういう生徒もけっこう多い)でもなく、Aなりに礼儀正しく私に挨拶に来たこと、まして学校という場所自体に好意を持っているとはとても思えないAが、「そのうち学校に遊びに行きます」と言ったのは驚きだった。在学中の生徒の態度で卒業後が予想できない、ということを感じる機会は少なくないとは言え、何度そういう場面を経験しても、驚きは新鮮であり、現在受け持っている生徒の顔を思い浮かべて感じる戸惑いは大きい。

 あと数日で新学期が始まる。申し訳ないが、それを思うと憂鬱だ。しかし、鳴子で会ったAは、その憂鬱さをかなり大きく軽減してくれたような気がする。現在の生徒の挙措にストレスを感じる一方で、Aのような存在があるからこそ、将来へ向けての希望は失わなくて済むのだ。今年、なんとなく軽い気分で、気持ちよく新年を迎えられたのは、ひとえにこんな出来事のせいであった。