1.24倍のうそ

 一昨日、宮城県の公立高校・後期選抜(かつての一般入試)の出願が締め切られた。私は、他県の高校入試事情に疎いので、宮城県の高校入試は特殊だ、みたいな論評をする資格はないのだが、それでも、これが果たしてまともなことなのか?と数字に見入ってしまう。その「数字」とは?・・・まずは、全日制課程の各地区ごとの平均競争率である。

刈田柴田地区(白石市柴田町などの7校) 1.06倍
伊具地区(角田市丸森町の2校) 0.80倍
亘理名取地区(岩沼市名取市などの4校) 1.35倍 *
仙台南地区(仙台市の南半分の9校) 1.51倍 *
台北地区(仙台市の北半分の10校) 1.52倍 *
塩釜地区(塩釜市多賀城市などの4校) 1.50倍 *
黒川地区(富谷町、大和町の2校) 1.29倍
大崎地区(大崎市などの8校) 0.97倍
遠田地区(美里町などの3校) 0.94倍
登米地区(登米市の3校) 1.07倍
栗原地区(栗原市の4校) 0.79倍
石巻地区(石巻市の8校) 0.89倍
本吉地区(気仙沼市南三陸町の5校) 0.91倍

 一目瞭然。極端なまでの仙台一極集中である。*を付けた4地区の高校が、基本的に最寄り駅まで仙台から電車で30分前後までの、いわゆる「仙台圏」である。黒川地区は、鉄道が通っていないので*を付けなかったが、仙台市ベッドタウンとして人口が急増してきた町で成り立っており、「仙台圏」と見なして差し支えがないような地域だ。どの新聞でも、県内の競争率の平均が1.24倍であるということを見出しに掲げていたが、全然意味のない数字である。*+黒川の5つの地区が、県内全体の平均競争率を引き上げているだけの話である。
 地区別の競争率を紹介はしたものの、この「地区」は目安でしかない。6年前に、宮城県は「学区」を撤廃したからである。つまり、仙台圏の競争率が非常に高いのは、仙台市の人口に比べて公立高校が少なすぎる(私立高校との協定があって、公立の定員を増やせないという事情がある)というだけではなく、他地区からの流入も多いことを想像させる。
 1週間あまり前、妻が子ども会の親役員会に行って、「おめでとう」という言葉が飛び交うので、何かと思って尋ねてみたところ、前期選抜で子どもが合格したことについての祝いの言葉だったが、地区内(=子ども会の地区なので狭い)で2名が仙台のナンバースクール(仙台一高、二高のように校名に数字を含む6校。偏差値ランキングの上位6校と一般に考えられているが、特に問題になるのは、元男子校であった3校)だったという。妻は、「仙台への流出ということはよく耳にしていたが、これほど身近で普通の問題だとは思わなかった、こうなるとさすがに、我が家の子どもも仙台に行かせなければまずいのかも。だけど、片道2時間以上もかけて通学させるのがいいことなのかどうか・・・?」と思ったという。
 世の中のあらゆる出来事は好循環か悪循環のどちらかを起こす。郡部から仙台への流出が始まると、やがてそれは加速する。仙台に行かなければ競争社会で勝ち抜けないのではないか?仙台の子どもたちでさほど成績の良くない子は、郡部か私学に流れて劣等感を持ち、郡部に残った子どもたちも腐る。仙台に通わせられるかどうかは、親の経済力も絡んでくる。長時間通学が増え、いろいろな意味で生活を圧迫する。広域移動すれば、地域とのつながりも薄れてくる。
 自由すぎる競争のなれの果て、まるで格差社会を象徴するような現象だ。それに巻き込まれているのが子どもなので、なおのことたちが悪い。選択の自由、特色ある学校づくりの促進、というのが、学区を撤廃した時の県の言い分であった。だが、仙台圏の学校が、努力の結果として特色ある学校づくりに成功したわけではなく、選択の自由は、やがて選択せざるを得ない不自由に変わってゆく。哲学のない時代は、どんな場面でも、目前の利益に振り回されて、大きなものを失っていくのである。