震災から満5年の一日

 今日は言わずと知れた震災から5年目の日。被災地のど真ん中で暮らしているので、淡々と身の回りのことを書いておこう。
 朝は普通に学校に行った。交通量はとても少なかった。いつもは、日和大橋を越える時に、渋滞している車を自転車で何台も抜けるのに、今日は車がよく流れていて抜かれるばかり。一方、今日は「みやぎ鎮魂の日」という県指定の休日なので、我が子達が通う小学校も、私の勤務する高校も、生徒達はお休み。
 我が家の回りなど、とても騒々しくなるのが分かっていたし、仕事もそれなりにあるので、学校でじっとしているに限る、と思っていたのだが、今日は機関工学類型2年の生徒達が遠洋航海実習を終えて石巻に戻ってくる日であった。宮城丸は12:30に石巻工業港着、13:00下船式という予定だ。最初は「行かない」と言っていた私も、その時間が近づくにつれて、毎年恒例の「怖い物見たさ」が生じてきた。宮城丸の出迎えに行けば、14時頃に我が家の界隈にいることになり、14:46のバカ騒ぎを目撃することが出来る。加えて、今年の宮城丸は特別だ。津波で流された後、最近になってハワイで発見された、石巻市雄勝町の船「第2勝丸」を積んで戻ってくるのだ。もちろん、私はそれをただの「粗大ゴミ」だと思っているのだが、マスコミは相当数来るらしいし、回りでそれを物語化しようとしている人々の様子を見ているのは面白そうだ。これはやっぱり「観察」に出掛けるに限る、と、12時に学校を飛び出した。
 宮城丸は予定より早く着岸したとかで、私が12:40に港に着いた時には、既に30分以上も前から停泊しています、というような、落ち着きを漂わせていた。マスコミはわんさか来ていた。ほとんど同じ時刻に、無数の場所でイベントをやっているわけだから、たとえ他県から大量の応援記者を呼んでいるにしても大変だろうなぁ、と思った。
 いつも通りの下船式の後、「第2勝丸保存会」なる団体の方々が、船長と校長(教頭が代理)に花束と記念品を贈った。そして、宮城丸の船室屋上に置いてあった第2勝丸をクレーンでつり下げ、トラックに載せた。確かにマスコミは多かったが、狂乱状態にはならなかった。
 物の価値というのは人によって違う。汚い帽子ひとつでも、他人にはただのゴミだが、持ち主にとっては宝物だ、ということはあり得る。だから、当事者にとっての第2勝丸の価値について、私はとやかく言えない。だが、当事者でなければ、上にも書いたとおり、破損がひどく、再利用に堪えないその船は、まったくただの「粗大ゴミ」である。にもかかわらず、マスコミを始めとする外野は、その船に殊更特別な意味を持たせようとする。被災地に横行するそのような現象を、私はくだらないと思う。第2勝丸もやっぱり「保存」の対象なのだそうだ(→参考)。
 今年に入ってからだったか、名取市で、被災地で拾い集められた「思い出の品」の処分を始めた。保存していた元中学校の建物を取り壊すに当たってのやむを得ない処置だ、という。石巻やその他の町では、まだ保存を継続するということも、同時にニュースになっていた。私は「まだ引き取り手が見つからない」のではないと思っている。「思い出の品」が自分のものと分かればぜひ回収したい、などと思っている人は、最初の1年のうちに探しに行っているはずだ。泥だらけのランドセルだのぬいぐるみだの、引き取っても「ゴミ」の処分に面倒な思いをするだけだから、引き取りに(=探しに)行かないだけである。私はそれを当たり前の、健全な感性だと思う。
 作業が終わると、私は南浜地区、「がんばろう石巻」看板に立ち寄った。もちろん、ただの好奇心である。夜のイベントのためのキャンドルライトが用意され、兵庫や群馬からボランティア団体の人が来て、何かを配っていたりした。さっき、宮城丸の前で見かけたマスコミの人もいる。私が訪ねた2時過ぎで、既に200人以上の人がいた。その後も、続々と人が集まってくる。やって来る車の量もなかなかだし、大型バスもやって来た。
 14:46は、我が家から南浜地区を「高みの見物」することにした。「サイレンを吹鳴するから事故と間違えないように」という防災無線のアナウンスが繰り返し聞こえている。へえ〜っ、サイレンって「吹鳴」するものなんだ?と、変なところが気になった。南浜の車はますます増えた。
 ところが、14:46になってもサイレンは聞こえなかった。例年聞こえていたような気がする日和山から太鼓の音も聞こえてこないし、静かなものである。14:48に、もういいだろう、さぁ学校に戻るぞ、と自転車に乗って、坂道を駆けおりようとしたら、南浜地区のよく見えるその坂道では、人々がまだ黙祷していた。何だか変だな、サイレンが聞こえていないのは私だけなのかな?(笑)と思いつつ、自転車を漕いでいると、それから数分、日和大橋を越えたあたりで、また防災無線で「サイレンが鳴らなかった。申し訳ありませんでした」みたいな放送が聞こえた。やっぱり鳴らなかったのだ。1秒違わずサイレンが鳴り、玉音放送のようにみんなが直立して頭を下げる、というよりは、このような間抜けな感じの方がいいなぁ、とホッとしたような気分になった。
 夕方、帰宅後、これまた「怖い物見たさ」でテレビのスイッチを入れた。あいかわらず「悲劇」と「英雄」を求めた(→参考)、お涙頂戴式の番組ばかりが多い。それが本当にマスコミのすべきことなのか?と一喝したい気分になる。防潮堤、公園整備、かさ上げといった復興・復旧のあり方、被災格差の問題、いまだに現在進行形の原発問題などなど、被災を巡る社会問題や、それに関する権力の姿勢に切り込んでこそ、マスコミは存在の意義を持つ。社会が暇で豊かな結果とは言え、あまりにも救いがない。