冒険する?しない?

 4月2日(土)、近年恒例となった「トヨタ・マスタープレイヤーズ・ウィーン」の演奏会に行った。トヨタメセナの一環で開いている演奏会で、ウィーンフィルのメンバーを中心とした室内オーケストラが来て、極めて質の高い演奏を聴かせてくれる。プログラムもサービス満点。今年は、バッハ「2台のヴァイオリンのための協奏曲」(独奏:V・シュトイデ&小林美樹)、ドニゼッティクラリネット小協奏曲」(P・シュミードル)、モーツァルト「ピアノ協奏曲第21番」(山本貴志)、ベートーヴェン交響曲第6番「田園」、そしてアンコールが、J・シュトラウスⅡ世のワルツ「ウィーン気質」。すご〜い!!
 例年通り(→参考記事)「定点観測」からいくと、今年は外来メンバーが30人(+日本人の助っ人が4人=「田園」のみ)。そのうち、ウィーンフィルの正規のメンバーが14人、国立歌劇場のメンバーが7人(ウィーンフィルは、国立歌劇場の一部のメンバーがピットの外でコンサート活動をする時のオーケストラなので、ここまでの21人がウィーンフィル系)、ウィーン交響楽団が4人、その他が5人で、その他5人のうち2人は、ウィーン・フォルクスオーパーのメンバーと、ウィーン国立音楽大学の卒業生(今はカメラータ・ザルツブルグ)。よって、30人中27人がウィーンで音楽活動の経験があり、基本的に精神とメソッドは共有されていると思われる。
 バッハの協奏曲は本当に名曲。「古くても斬新」という表現がこれほど似つかわしい曲はなかなかない。特に、コントラバスの動きなんて、ロックンロールファンでもしびれると思う。立ち上がりだけに、演奏は今ひとつだったが、曲の魅力が上回った。
 ドニゼッティは「クラリネットの世界ではおなじみのコンチェルティーノ」らしいが、私は知らない曲だった。プログラムノートによれば、レイモン・メイランというスイス人が、1924年に、ドニゼッティ(1848年没)の書いたいろいろな曲を組み合わせて作ったものらしい。2楽章形式で、10分にも満たない小品。オーケストラはのってきたが、シュミードルがイマイチ。歳かな?
 本当に良くなったのは、モーツァルトからである。山本貴志というピアニストは、体格貧相な上、額を鍵盤に擦りつけるように這いつくばって演奏する。決して格好いいとは言えない。響きも迫力に欠けるので、こりゃあかん、と思いながら聴き始めたが、間もなく、モーツァルトであること、20人ほどの小オーケストラであることを意識して、あえて響きを抑えているのではないかと思われてきた。なかなかいい演奏である。私の大好きなこの曲を、気持ちよく聴くことができたのはよかった。
 次の「田園」でもいえることだが、オーケストラの響きは素晴らしい。特に金管楽器だ。第1ヴァイオリンでも5人という小さなオーケストラだけに、金管が全体を支配するということが起こりかねない状況だが、そんなことが起こる気配は微塵もない。奏者全員がオーケストラの音の総量というものを正確に把握していて、その中で自分の楽器はこれくらい、ということをわきまえていることがはっきりと分かる。その結果、各楽器の音が上手く溶け合う。実に美しい。40分ほどかかる「田園」が、とても短い曲に感じられた。
 ところで、半月ほど前、県内の高校のある音楽の大先生と、酒を呑みながら話をしていて、演奏の際に「冒険をする、しない」という話になった。例として出て来たのは、このオーケストラ(面倒なのでトヨタと略)とオルフェウス管弦楽団である。ともに指揮者のいない30人程度の室内オーケストラだ。片方はウィーンでほぼ純血、もう片方はアメリカで多国籍(のはず=今、確かめられない)。大先生は、「オルフェウスは冒険をするけど、トヨタは冒険をしない。だから、無難で面白味に欠ける」とおっしゃる。
 「冒険」という言葉の意味は、何となく分かるけれど、説明するとなると難しい。あえて斬新な解釈、演奏に挑戦することだとしておこう。音楽を聴いた時、何に感動するかというと、これはケース・バイ・ケースであって、一概には言えない。音の美しさであったり、名人芸であったり、曲そのものの持つ力であったり・・・。だとすれば、「冒険」そのものが面白い時もあるだろうが、「冒険」なんてなくても、いい曲はいいのである。ただし、私の印象から行くと、一人の個性が何かしらの方向性でぐいぐいと推進力を付けていない演奏は、たいてい没個性的でつまらない。例えば、オルフェウスは、その民主的な運営と楽員個々の高い能力とに魅力を感じ、一時、優れたオーケストラだと思っていたこともあったが、誰でもリーダーが務まるというのは、逆に、誰でもリーダーが務まる程度のレベルに過ぎず、個性にも欠ける、ということだと感じるようになり、私は背を向けた。指揮者の存在価値もそのあたりにあるだろう。
 今日、トヨタを聴きながら、私はそんな議論を思い出していた。大先生のご意見を拝聴した後だったが、私の思いは変わらず、やはりトヨタの演奏は素晴らしかった。極端な話、十八番である「ウィーン気質」を彼らが演奏する時、「冒険」なんてあろうわけもない。それでも、音楽は会場を熱狂させる。
 コンサートマスター・シュトイデやリーダー・シュミードルの指示によるのか、彼らの共有するメソッドや「思い」なのか、とにかく、曲そのものの質が高く、演奏者が曲についての確かな見識や感性を持ち、それが高い技術によって表現される時、あえて新しいこと(=奇抜なこと?)に挑戦しなくても、その演奏は確実に人の心を動かす。むしろ、それこそが、音楽の本質的な力であり価値だろう。