料理ボランティア

 なんだか1ヶ月くらい更新していなかったような気がするが、実際には、先週の月曜日以来なので、1週間にも満たない。このところ、公私ともに忙しくて、それどころではなかったのである。ちょっと個人的に大きな作業を抱えることにしたので、この状態はしばらく続く。殊更に休筆宣言などしたりはしないが、無理はしない。おそらく、かなり更新は滞り気味になるだろう。
 さて、今日の朝、我が家の庭でウグイスがふた声ほど鳴いた。なにしろ、今年は復旧・復興を大義名分とする巨大土木工事の影響か、例年3月上旬からよくさえずるウグイスが、一向に来てくれないので、本当に哀しい思いをしていたのである(→参考記事)。たったふた声ではあるが、「あっ、生きていた!」という喜びと、声そのものの美しさに対する感動が湧き起こってきた。午後、もう一声聞こえたが、それでおしまい。絶滅したよりはいいし、近くにいるのだということは分かったが、これではどう考えても「我が家のウグイス」とは言えない。餌でおびき寄せる作戦など採れないかと考え、『野鳥観察図鑑』なるものを引いてみたら、ウグイスの餌は「昆虫やクモ」と書いてある。ダメだこりゃ。
 ところで、昨日から、宮水には「料理ボランティア」なるご一行様が来ていた。土日ではあるが、昨日は授業参観とPTA総会だったので、調理類型の授業の一環として、ボランティアの方々と生徒が一緒に料理をし、今日は200名近い外来者に簡単なコース料理をふるまうというイベントが組まれた。
 「料理ボランティア」と言うと、ボランティア馴れしている東日本大震災被災地(←最近、テレビでは「被災地」と言うと熊本のことになっているので、このような表現が必要となる)では、平々凡々な日常の一コマ、といった感じだが、実はアメリカから超一流のシェフ達がやって来たのである。リーダーであった「シェフ佐藤」こと佐藤了さん(78歳?)は、世界の有名料理店で腕を磨き、料理オリンピックにアメリカ代表として出場して金メダル獲得、更には「シェフ・オブ・ザ・イヤー」受賞など、アメリカ料理界の頂点に立つと言っていいほどの経歴の持ち主(ロサンゼルス在住)。協力者として一緒に来たのは、日米両国の名のあるシェフ達で、その中には帝国ホテルの菓子部門の責任者だったなどという人も含まれる。シェフ以外にも、アシスタント、あるいは付き添いとして、30人もの人たちが来た。まったく「ただのボランティア」ではないのである。
 昨日は、レクチャーの様子を時々のぞきに行ったが、本物の技を目の当たりにして、鳥肌が立つような感覚になった。料理の道数十年、一流だけが持つ迫力である。そして、今日の昼は、息子と一緒に、そのお料理をご馳走になりに行った。メニューは次のとおり。

 (前菜)
・ペルー産キヌア、枝豆、クランベリー入りサラダ
・モロッコ風チキン、オニオン、シナモン、ガーリックブレゼ、フィロ包み焼き
 (メイン)
・大田原産牛挽肉とカリフォルニア産アーモンド、干しぶどう、アプリコット入りミートローフ
南アフリカスタイル石巻白身魚のソテー、カレーココナツソース
・ヒマラヤ産バスコティライス、スペイン産サフラン風味
 (デザート)
・洋風菓子各種(とメニューには書いてあったが、具体的には石巻産イチゴのショートケーキ、バウムクーヘンに生クリームとイチゴソース添え)
・飲み物各種(オレンジジュース、アップルジュース、コーヒー、紅茶から一品選択)

 こうやって見ても、何がなにやらよく分からない。実際に食べてみると、案外他愛のない感じがしたが、味は良かった。
 そして何よりも、生徒がてきぱきと働いていている姿に好感が持てた。やはり、外部の人と接するというのは本当に刺激になる。彼らなりに緊張もすれば見栄も張る。そのような「背伸び」が、人の成長を促すのだ。超一流のシェフ達が付いていなくても、今日のような料理がパッと作れるようになるといい。だが、今日生き生きとした表情で働いていた彼らが、高校卒業と同時に調理師免許を取得出来るにもかかわらず、実はあまり調理の世界へ就職を希望していないという困った現実がある。今回のようなイベントを通して、外部の刺激を受け、料理を人に提供することのやりがいと面白さに目覚めてくれることを期待することにしよう。