復活!出港式

 一昨日、宮城丸が出港して行った。これから2ヶ月、ハワイ沖での実習に励む。と、ここまでは宮水にとってただの年中行事。ところが、今年の出港は少し特別だった。東日本大震災で、岸壁の破損やら地盤沈下やらで出来なくなっていた「出港式」が、5年あまりを経て復活したのである。正確に言えば、この間も出港式は行われていた。ただ、漁港が復旧作業中で使えないので工業港から出港で、工業港は学校から歩いてはいけないので、出港式は生徒会の生徒と、実習に出発する類型の1学年下の同類型の生徒だけがバスで参加する、という形になっていたのである。それが今回、遂に全校生徒による行事へと「復旧」したわけだ。
 『それゆけ、水産高校!』にも書いたことだが、水産高校にとって、これほど水産高校らしい行事はない。新入生に水産高校がどのような学校なのかということを認識させ、全校生徒に水産高校生としてのアイデンティティを共有させるためには、非常に価値ある行事なのである。それが、5年の長きにわたって行えずにいた。
 天気予報を見ながら覚悟はしていたが、あいにく、土砂降りに近い雨だった。震災前は、1時間目の授業が終わった後、約4キロ離れた漁港まで、徒歩でも自転車でも各自で移動し、終わったら現地解散だったのに、今回は遠足よろしく全員で徒歩移動、終わった後も、全員で学校に戻る、というやり方になった。最近の生真面目な教員の体質をよく表している。
 雨がひどいので、魚市場の一番東端を借りて出港式を行った。お決まりの挨拶類と在校生によるエール、校訓唱和、校歌斉唱で終了となる。ここまでだけなら学校の体育館でも出来る。大切なのは、この後の見送りである。他の出席者は雨の降る岸壁にぞろぞろと移動し、実習生は乗船する。
 復旧したとは言っても、岸壁は狭く、しかも保護者が自家用車を止めているので、500人近い見送り組が、船の間近に立つのは難しかった。それでも、予定通り、正午に船が離岸すると、みんなに船が見えるようになり、不安を抱えた実習生(航海技術類型3年生)の顔が見えるようになる。錨を上げ終わると、汽笛を鳴らし、宮城丸は外洋へと出て行った。宮水に来て初めて見たときは、とても大きくて立派な船に見えた宮城丸も、繰り返し見ているうちに、どんどん小さくなってきたような気がするが、船が出て行く姿というか、雰囲気は、何度見てもなんだか胸にこみ上げてくるものがある。バスや電車、飛行機による出発ではこうはいかない。見送りの生徒の中にも、涙ぐんでいる者がいる。実習生の中に、彼氏か彼女がいるのかも知れない。
 今までに、職員会議でも、何度となく「まだ出港式は出来ないのか?」みたいな質問や、「多少無理をしてでもやろう」といった意見が出ていて、それがようやく実現したわけだが、船を見送った教員の中には、「宮水にはやっぱりこれがないと・・・」とか「出港式出来るようになってよかったなぁ」などと、頬を紅潮させている人が何人かいた。
 単純であるが上にも単純な行事である。それでも、この行事は人の心を動かし、宮水生に水産高校生としての自覚と魂とを植え付ける。「文化の質はかけた手間暇に比例する」とは、私の口癖みたいなものだが、手間を掛けなくても質というか、価値のあるものはあるのだ。
 これからまた、「石巻かほく」という新聞に載る「海のたより 漁業通信」(船の所在地=緯度・経度や、気温・水温、針路・速度、漁獲量といったデータが載る)を楽しみに見る毎日が始まる。