破れ窓理論・・・南浜地区復興祈念公園迷走曲(番外編)

 思ったほど天気がよくならず、風も強かった今日、少し散歩に出てみた。南浜町の新しくなった「がんばろう石巻」看板方面である。
 以前からのことではあるが、ゴミが本当にひどい。冷蔵庫やテレビといった家電製品が多いが、棚類や何かの廃材もある。もちろん、5年前に各家庭から流された家財の一部などでは断じてなく、明らかに後から捨てられたゴミである。
 「破れ窓理論」というものがある。「ブロークンウィンドウの法則」とも言うらしい。割れた窓をそのままにしておくと、所有者がまじめに管理をする気がない、割ってもいい窓なんだと思われ、更に窓が割られていく、ということで、小さな悪も放置すると、連鎖的に悪が生まれてくる、と一般化される。東日本大震災で荒野と廃墟の中間状態になった南浜町のゴミは、まさにこの論理によって増えてきたのだろう。単に、人の目がなくなったというだけではないと思う。
 思えば、震災直後も、我が家のようなほとんど被害がなかった地区では、犯罪が心配される雰囲気ではなかったが、津波で中途半端にやられた地区では、その心配が非常に大きかったという話はよく耳にした。
 私が今日問題とする「ゴミ捨て場」は、南浜地区復興祈念公園の予定地である。以前何度も書いたとおり(→例えば)、私は公園計画に非常に批判的だ。後世に大きな負の遺産を残す、「箱物」の一種だと思っている。しかし、一方で、私が言うように南浜を現状のまま放置したら、永久に「ゴミ捨て場」状態が続き、むしろ更に悪化していくだろう。国や市がお金を費やし、私の意に反するピシッと美しい公園を整備すれば、ゴミ捨て場としては扱われないのではないか、という思いもある。公園管理の一環として、捨てられるゴミを処分するというのではなく、ゴミを捨てることの出来ない雰囲気が作られていく、ということだ。
 日本人のモラルの問題として、現状は何とも悲しい。ゴミ捨て場状態を改善するために巨額を費やし、自然を破壊して美しい公園を整備すべきなのか、人間の負の側面をあからさまにして、人々に考えてもらうために、いくらゴミが増えてもそのままにすべきなのか・・・私にはなんとも悩ましい。