大井川鉄道(1)

 日曜日から3日間、旅に出ていた。月・火に卒業生が何人も働いている会社を訪ねるという出張だったので、例によって早めに家を出て、寄り道をさせてもらった。
 日曜日、石巻5:25の初電に乗り、目指したのは大井川鉄道である。静岡県を走る一小私鉄なのだが、鉄道ファンの中では甚だ有名。私はマニアではないにしても、以前から一度行ってみたいと思いつつ、実現させられずにいたのだ。大井川鉄道は、東海道本線の金谷が南側の始発である。会社訪問の第一目的地が焼津だったので、焼津から5駅目の金谷は、寄り道先として絶好のロケーションだった。
 大井川鉄道は、自ら「鉄道ミュージアム」を名乗っている。他所の私鉄で使われなくなった古い車体を購入し、もとの塗装のままで走らせたり、数多くの蒸気機関車と旧型客車を所有して、通年、平日も含めて毎日運行していたり、切符はすべて硬券の窓口販売、といった具合だ。効率最優先の新しい鉄道が大嫌いの私(もっとも新幹線が300キロ運転をしているおかげで、石巻から5時間半で金谷に着き、遊ぶ時間的余裕も生まれたわけだから、この日に関しては文句を言う資格がない)のような人間の心を、ひどくくすぐるのである。加えて、金谷から大井川本線千頭(せんず)まで行き、そこから奥に伸びる井川線は、昔のダム建設資材運搬用の路線なのだが、私が大好きな機関車+客車の編成で、しかも、途中に日本で唯一のアプト式区間(歯車式の登山鉄道)がある。客車に乗りたい。SLもこれだけ日常的に運転されていたら、イベント的な騒々しさのない、本当の落ち着いた客車旅を味わえるのではないか・・・そんな期待を持って出かけていった。
 結論。この鉄道はスゴい。もっとも、何がそんなにスゴいかというと、車両の形式が云々といったマニアックな部分ではなく、沿線の風景が文句なしに美しいのである。金谷を出た列車は、4つめの駅である五和(ごか)を過ぎると間もなく、大井川に沿って走るようになる。水のある風景は美しい。しかも、大井川は清流で、河岸もさほど人工の手が加えられている様子がない。「岡田商店(←何のことか分かるかな?)」に代表される大型ショッピングセンター、全国展開している飲食店や自動車用品店、衣料品店といったものも一切見られない。目に入った大きな人工物といえば、東名高速道路くらいである。代わりに、人しか渡ることが出来ない吊り橋や、温泉といったものが見える。駅舎にも、昔のままの木造のものが多い。あちらこちらにあるお茶畑も、濃い緑色で風景を引き締め、自然と産業の豊かさを感じさせてくれる。いかにも日本人の心の故郷、日本の原風景といった趣なのだ。
 井川線に乗り換えると、人家さえほとんど見えず、名残の紅葉も美しい大井川渓谷に沿ったり渡ったりしながら進む。トンネルも多いが、それらはコンクリートで固められていない、岩盤むき出しのトンネルだ。奥大井湖上駅なんて、長島ダムによって作られた接岨(せっそ)湖に向かって張り出す細長い岬の先端にある。きれいな赤い鉄橋でそこに渡り、少し止まってまた鉄橋を渡る。確かに「湖上」だ。
 金谷から近鉄特急16000系に揺られて千頭まで1時間13分。39.5㎞なので、表定速度(停車時間を差し引かない始発から終着までの所要時間で距離を割ったもの)は33㎞/h。千頭から接岨峡温泉(ここから井川までは土砂崩れのため現在不通)は、たった15.5㎞を1時間12分で走ったので、表定速度はなんと13㎞/h。こののんびりしたペースを心地よく感じながら、地図を片手に、まったく退屈することなく、その美しい自然の風景に見入っていた。
 列車で1時間12分かかった接岨峡温泉から、バスに26分(!!)乗って千頭に戻ると、「かわね路2号」というSL急行に乗った。「急行」の名の通り、千頭〜新金谷17駅のうち、停車するのは2駅だけ。にもかかわらず、「急行」の名に反し、なぜか電車の各駅停車よりも所要時間は4分長い。
 途中、家山という駅に止まった時のこと。近くの草原で鬼ごっこ風にじゃれ合っていた、小学校に入ったか入らないかくらいの姉と、1つか2つ下と思しき弟が、SLに走り寄ってきた。そして、二人で一緒に、SLの呼吸に合わせて膝を屈伸させながら、体の両脇で動輪を繋いでいるロッドの動きをまねして腕を回す。なんとも無邪気で明るく楽しそうな、天使の笑顔だ。出発を告げる汽笛が鳴ると、いかにもびっくりしたといった風で、大げさに飛び跳ねる。そして、乗客に手を振ろうとした次の瞬間、SLが左右に大量の蒸気を噴き出すと、それに巻かれてきゃっきゃきゃっきゃとまた大騒ぎをする。彼らにしてみれば、毎日見慣れたSLである。それでも、こうして存在を喜ぶ。SLそのものの魅力のせいでもあるが、まったく時代に取り残されたような素朴で無邪気な子供らしい表情と仕草が、私にとっては夢見るような光景で、強烈に印象に残った。まるで、原田泰治の絵の世界がそのまま目の前に広がっている感じ。
 大井川鉄道は、鉄道ファンのためだけの施設ではない。穏やかで美しい日本の風景を堪能できる場所だ。私が買ったフリー切符(「せっそ・すまた周遊切符」)が2日間有効だというのがよく分かる。次は山間の温泉泊まりで、ゆっくり訪ねてみたい。(続)