大川小学校判決

 少し時間をさかのぼる。休筆期間中で最大の社会的話題は、アメリカ大統領選挙だっただろうが、それに次ぐものはと言えば、10月26日の大川小学校訴訟判決だったように思う。大々的に全国報道された通り、裁判所は学校の責任を認め、市と県に14億円あまりの損害賠償を命じた。そして、11月7日に、市と県は先生方に責任を求めるのは酷だとして控訴し、9日に原告も責任の認め方が甘いと控訴した。
 私は、東日本大震災の時、水産高校3階のベランダで津波見物をしていた。水産高校は、外洋から約1㎞の所にある。万石浦という内海からは200mあまりだ。私は日頃からいろいろなものに興味関心を持ち、特に自然現象については理屈も含めて、文系の割によく勉強している方だと思う。それでも、いくら10mの津波が来るとはいっても、波は海岸で砕ければ急速に力を失うはずだから、まさか宮水までは来るまい、だが、見られるものなら見てみたい、と「わくわく」というに近い思いでベランダに立っていたのである。「波」という言葉がよくない。後から分かったのは、津波は「波」ではなく、「潮流」だということである。あくまでも「後から分かった」ことだ。海岸で砕けて減衰したりはしない。海そのものが移動し、内陸深くまで押し寄せて来るのだ。知らないということは恐ろしいと思う。幸い、宮水は1階の床上50㎝が浸水しただけで、私も危機感を感じることなく助かった。いわば「偶然」みたいなものである。私の知識や危機管理能力が、大川小学校の先生方より勝っていたから助かった、というものでは決してない。
 大川小学校は、海岸から4㎞である。そこに数mの堤防を乗り越えて、北上川から津波があふれ、襲いかかってくるなど誰が予想しただろう。だから、生徒を校庭に引き留めた先生方自身も、地域の住民もたくさん亡くなったのである。市の広報車が高台への避難を呼びかけていて、先生方がそれを聞いていたに違いないことも、裁判官が学校に責任を認める重要な理由の一つになっていたようだが、誰もが「来るわけがない」と信じている時に、広報車の一声で「さあ大変」と思うようになるほど、人間の心は単純素直に出来ていない。もっと海に近い集落にアナウンスするために走って行く途中だろう、と思うのが関の山だ。結果論で是非を問うことは止めたい。
 保護者は悲しみと怒りのやり場に困って、自分たちの気持ちを法廷に持ち込んでいるのだと思う。今回の件に限らず、何かが起こった時は、何が何でもどこかに怒りをぶつけなければ気が済まない、という風潮が今の世の中にあることを、私は憂う。市長の「宿命」という言葉はいただけないが、人知を越えた自然現象による事故は、仕方がなかったとして受け止めざるを得ない場合が、確かにあるであろう。今回の事故はその一例だ。
 私もかつて、少し裁判というものに関わったことがあるが、裁判をしている間、人間は前を向けない。保護者にしてみれば、どうせ忘れようと思っても忘れられないことだ、ということなのかも知れない。だが、負ければ怒りと悲しみは更に増幅するだろう。この裁判は見ているのがつらい。子を失った親の苦しみが、多少なりとも想像出来るだけに、彼らにこれ以上苦しんで欲しくないと思う。
 訴えが出されて以来、私は、始まってしまったこの裁判はどう決着するべきなのかと、私の立場では考えても仕方のないことと知りつつ、たびたび思いを巡らせていた。保護者の方々は、23億円もの損害賠償を請求していたわけだが、彼らがお金を欲しがっているとはどうしても思えない。実際、今回の判決に従えば、一家庭当たり7300万円あまりが支払われることになるが、私が遺族だったとして、使い道に困るお金である。これでいくらお墓を立派にしても、それで悲しみが和らぐとは思えない。もちろん、自分の遊びや贅沢に使う気になどなるわけがない。「勝ちの証拠」以上の価値は持たない。だが、「勝ちの証拠」なら判決文だけで十分だ。だとすれば、私は亡くなった先生方に責任を認めるのは気の毒だと思うが、公務員というのはそういう役回りなのだとあきらめてもらい、被告は負け(責任)を認める、一方で、保護者は損害賠償金(税金)を受け取らない・・・この辺がギリギリ許される落ち着きどころか?と思ったりなどもしていた。だが、やはりそうはいかないらしい。
 だとすれば、私は県と市の控訴を支持するしかないのだけれど、やはり、それは決して本意とは言えない。遺族に対する世間の同情も、やがては批判に変わらないだろうか?という心配もする。すると、ますますみんなでつらい思いをすることになる。是非、泥仕合になっていかないように・・・祈るような思いだ。