Mr,トランプ

 ついに、あのMr,トランプがアメリカの大統領に就任した。敵を作り、徹底的に批判しながら大衆を味方に付ける分断の手法は橋下徹大阪市長を思い出させるし、マスコミ批判は安倍首相を思い出させる。品格というものもまるでない。政治家は国民を映す鏡だ。ああ、バカなのは日本人だけではないのだな、という変な安心感を抱くが、それが超大国アメリカの大統領ともなれば、笑って見ているわけにも行かない。同様の嫌悪感を抱く人はアメリカにも、その他の国々にも多いらしい。史上最も不人気な大統領だということで、就任式に及んでも、世界各地でデモが相次いでいるという。
 もっとも、こんなことは、私がわざわざここに書くまでもない。トランプという人の人となりや、言動・政策上の問題に至るまで、微に入り細に入り報道され、コメントされているわけだから、私が今更付け加えることがあろうとも思えない。が、あまりにも大きな出来事なので、一応、私なりの考えは明らかにしておこうと思う。
 問題にしたいのは2点。1点は、曲がりなりにも民主的な選挙で選ばれた大統領に対して、個別の政策が実行される前に、いわば彼が大統領になったということ自体で抗議することは許されるのか、という問題である。これについては、場合分けが必要だ。
 まず、アメリカ国民はダメだろう。誰がなっても不満を持つ人はいるのであり、その言い分を聞いていれば代表者は選べない。自分たちの選挙の結果として、トランプ氏が当選したとなれば、許されるのは、具体的な政治活動についての賛否を表明し、修正を求めるという形でなければならない。今、反トランプ・デモをしている人たちは、自分たちの選挙への取り組みの失敗をもっと反省すべきである。
 では、アメリカ国民以外、つまり選挙権を持たない人はどうだろうか?私は、具体的な政治活動について、それが国境を越えて影響を及ぼす問題に限り許されるのではないかと思う。場合によっては、自国の政治家にトランプ氏とよく似た行動、思想を持つ人がいて、その人を批判し、選挙で勝つことがないようにするためにトランプ批判を利用する、ということもあるかも知れない。それも「有り」だろう。ただし、その場合、トランプ批判はあくまでも批判する人々の国の内政問題である。
 幸か不幸か、世界はボーダーレスの時代である。国境を越えて、あらゆる影響関係が及んでいる。だから、他国の政治家、まして大統領について無関心でいるわけにもいかず、批判も許されると考えるのは当然である。
 トランプ氏の主張の核心は「アメリカ・ファースト」らしい。アメリカの経済を最優先に考え、メキシコに工場を建てようとする企業には、アメリカ国内での不利益を課す。私は、これについてはさほど反対ではない。TPPからの離脱も歓迎すべきことである。グローバル化は格差の拡大を招いていると思うし、争いを生むことにもなる。一つの国の中で、自給自足が成り立つのが一番いい。それが出来るように、人口も産業もコントロールされるべきだ。日本のように分不相応な物量作戦で、膨大な輸出入に頼って生活を維持するべきではない。
 そんな私にとって、トランプ氏の政策の中で最も危機感を覚えるのは、温暖化対策だ。前々から言われていたことではあるが、就任式当日、トランプ氏は早速、オバマ政権による地球温暖化対策の行動計画を撤廃すると発表した。そして、アメリカ国内にあるといわれている、5700兆円分の石油・天然ガスの活用などに乗り出すらしい。
 私の環境問題に対する危機感は並々ではないので(→参考記事)、こうなってくると、アメリカ大統領が誰かというのは切実な問題であり、その言動にもの申すことが内政干渉などではあり得ない、ということになってくる。
 日本の選挙でも同様だが、人は候補者の全ての政策を支持して投票するわけではない。トータルに、もしくは相対的にマシと評価するだけである。アメリカ国民の多数が、温暖化対策を不要と考えたわけではない、と信じたい。だが何にせよ、パリ協定からの離脱を始めとする、彼の温暖化対策不要論は、地球上の全ての人間に対して取り返しの付かない不利益をもたらす。国際社会の力が問われてくる深刻な事態だ。
 トランプ氏の政治活動については、家族重視ということもよく伝えられている。例えば、手元にある河北新報(1月22日)では、その理由を、トランプ氏が政界に地盤を持たないからだとしているが、果たして本当だろうか?血に頼るのは乱世の手法である。下克上の乱世には、血だけが信頼に値した。今が乱世であるかどうかはともかく、他人は信用できないという意識がトランプ氏の中にあるとすれば、彼の政治もまた人間への信頼に基づかない冷たいものになるだろう。それは決して多くの人を幸せにはしない。