あっ、日海事の船だ!

 28日に塩釜高校に事務手続きと引き継ぎのために行き、昨日は離任式。夜は日付が変わるまで呑んで、今日は最後の掃除に行った。6時過ぎまでかかってようやく終了。机やロッカーの鍵、そしてパソコンを返却し、まだ残っていた同僚に挨拶をして、全てが終わった。明日は一寸した事情があって休みを取ってあるので、もう職員として宮水に行くことはない。やはり一抹の寂しさは感じる。
 そう言えば、22日の朝、起きてカーテンを開けると、海の上に見慣れない船が浮かんでいた。何度も書くようだが、我が家からは南浜復興祈念公園予定地と海がとてもよく見えるのである。たいてい浮かんでいるのは黒っぽい船で、ほとんどがタンカーや木材チップの輸送船といったいわゆる商船だ。この日見えていたのは白い船白い船といえば海上保安庁だが、海保の船は斜めに青い線が入っているので、たいてい肉眼でそれと分かる。この日の船は違っていた。
 私は、我が家の居間の常備品、双眼鏡を手に取って、沖の船を見た。JAMSTEC(日本海洋研究開発機構)の船だ。細部は見えないが、赤い煙突に水色の丸いファンネルマークで分かった。私は書架で、JAMSTECの船の運行会社である日本海洋事業(日海事→こちら)の会社案内を探すと、船のリストを見た。「よこすか」(→こちら)か「かいれい」である。この2隻の兄弟船は、違いが分かりにくい。それにしても、どうして石巻なんかに来て沖待ちしているのだろう?
 私は学校に着くと、日海事のHさんに電話をした。
「もしもし。ご無沙汰してます。宮水の平居です。実は、我が家の居間から海がよく見えるんですけど、今日、石巻湾に「よこすか」か「かいれい」来てますよね。どっちですか?ちょっと気になったものですから・・・。」
「あ、おはようございます。ちょっと待って下さいね。・・・え〜と・・・あ、「かいれい」ですね。新青丸が港に入っているんですけど、「かいれい」は沖待ちです。形は同じでも、「よこすか」と違って、煙突の下の所の壁に青い飾りがペイントしてあるはずですけど。」
で、多少の四方山話をした後、
「実は私、今月いっぱいで異動になりそうなんですよ(←新聞発表前なのでこういう言い方になる)。Hさんには本当にお世話になり、たくさん勉強させていただいて、ありがとうございました。」
「いやぁ、そうですか、それは残念です。」
とまあ、ご挨拶をして電話を切った。こちらのご挨拶こそが本題で、「かいれい」はきっかけに過ぎなかったかも知れない。
 10分もしないうちに、今度はHさんから電話がかかってきた。
「先生、30日はまだ宮水にいますか?実は29日に青森に仕事で行くもんですから、帰りに宮水に寄らせていただこうかと思いまして・・・。」
 もちろん私は大歓迎、ということで電話を切った次の瞬間、「青森に行った帰りに宮水に寄る」というのは、口で言うほど簡単なことではないぞ、と思った。Hさんが来て下さるのはとても嬉しいが、いずれ「やっぱり寄れそうにありません」とかなんとか電話が来るのではなかろうか、と思った。
 一昨日、28日の朝、「かいれい」は再び我が家の沖に姿を現した。見分け方が明らかになった今回、我が家からでも、はっきり「かいれい」と分かった。
 そして今日、Hさんは「やっぱり仙台から遠いですね」とか言いながら、時間通りに来てくれた。
 会社関係には引き継ぎの都合もあるので、昨日、後任の紹介も兼ねた挨拶はがきを送った。早くも今日、電話が2件とメールが2通あった。力は人ではなく役に付く。そんな仕事の世界で、役を退く私の所にわざわざ遠くから来て下さったり、電話、メールを下さったりする。本当に嬉しいものである。社会に制度があり、組織の一員として動いていても、やはり原点となるのは人間関係なのだ、と強く思う。私が宮水でかなり意識的にため込んだ、海や水産海運業についてのうんちくと人間関係は、今後、どのようになっていくのだろう?そんなことを考える時、同僚に最後の挨拶をする時以上に、寂しさがつのる。